多々良浜(読み)たたらはま

日本歴史地名大系 「多々良浜」の解説

多々良浜
たたらはま

多々良浦ともいう。勝間かつまより三田尻みたじりに至る海岸の名称とされるが、この浜は享保年間(一七一六―三六)から安永五年(一七七六)にかけて行われた鋳物師開作いもじかいさく開作・勝間開作などによってすっかり姿を消した。

康応元年(一三八九)の「鹿苑院西国下向記」には、足利義満の船が大内義弘に迎えられて府中ふちゆう(現防府市)に着いた時のあたりの情景を詳しく記すが、その中に付近の法師の物語として、百済国聖明王の第三子皇子琳聖太子が日本に渡って来た時、「このあたりを多々良の浜といふ、来朝の時、船着岸の所をハ貴志津といふ」と記し、琳聖太子着岸の地という伝承を載せる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報