塩尻(市)(読み)しおじり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「塩尻(市)」の意味・わかりやすい解説

塩尻(市)
しおじり

長野県中央部にある商工業都市。松本盆地の南端に位置する。1959年(昭和34)塩尻町と広丘(ひろおか)、片丘、筑摩地(ちくまち)、宗賀(そうが)の4村が合併して市制施行。1961年洗馬(せば)村を編入。2005年(平成17)木曽(きそ)郡楢川村(ならかわむら)を編入。三方筑摩山地木曽山脈の山々に囲まれ、標高700メートル前後の桔梗ヶ原(ききょうがはら)とよばれる火山灰台地上に市の中心部があり、台地上を木曽谷から北流する奈良井(ならい)川や、田川が貫流する。古くから諏訪(すわ)と松本、松本と木曽谷、あるいは諏訪と木曽谷を結ぶ交通の要地で、近世は中山道(なかせんどう)と、伊那(いな)谷を北上する三州街道、善光寺参詣(さんけい)の北国西街道(ほっこくにしかいどう)などが合流し、中山道の宿場として塩尻、洗馬、本山(もとやま)、贄川(にえかわ)、奈良井(ならい)の5駅と、北国西街道の郷原(ごうはら)駅が置かれた。現在はJRの中央本線と篠ノ井線(しののいせん)、国道19号と20号および153号の交点になっている。また長野自動車道が通り、塩尻と塩尻北のインターチェンジがある。塩尻駅は1982年に旧駅舎の500メートル北方へ移動新築された。中心集落は、中山道の旧塩尻宿の地区と、1902年(明治35)の篠ノ井線の開通で設置された塩尻駅の駅前集落に分かれ、駅前が中心商店街をなす。桔梗ヶ原の西部は戦国時代に武田氏と小笠原(おがさわら)氏の戦場であった地で、明治になって入植開拓されたが、現在は県下第3位のブドウ産地である。ぶどう酒工場のほか、諏訪盆地からの精密工業の進出もみられる。

 宗賀地区平出遺跡(ひらいでいせき)は縄文中期から奈良時代までの住居跡で、国指定史跡。出土品を展示する平出博物館がある。中山道沿いの堀内家住宅は18世紀後半、片丘地区の嶋﨑家住宅は17世紀の、ともに本棟造の民家で国の重要文化財。ほかに塩尻宿の旅籠であった小野家住宅、片丘の小松家住宅も国指定重要文化財。郷原宿にも本棟造りの家並みが残る。東部の高(たか)ボッチ山一帯は高原をなし、八ヶ岳(やつがたけ)中信高原国定公園の一部。なお、塩尻という地名は長野県下にいくつかあるが、太平洋と日本海の両方から運び込まれる塩の道の終点(尻)にあたるところからつけられたという。面積289.98平方キロメートル(一部境界未定)、人口6万7241(2020)。

[小林寛義]

『『わたくしたちの郷土塩尻市』(1966・塩尻市)』


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