西仙寺(読み)さいせんじ

日本歴史地名大系 「西仙寺」の解説

西仙寺
さいせんじ

[現在地名]西脇市西田町にしだちよう

小坂こさか村の北、杉原すぎはら川の西岸にある。慶長国絵図に西仙寺とみえ、正保郷帳以下の郷帳類にも一村として登載されているが、村は付されていない。西仙寺は当地の古刹の名。江戸期の領主変遷寺内てらうち村に同じ。元和五年(一六一九)免状(西仙寺文書)によると高九二石余、うち寺領五石余。寛永一七年(一六四〇)の免状(同文書)によると高七二石余。正保郷帳でも同高、田方のみ、「山役有」と注記される。寺請村で、寛文三年(一六六三)名寄帳(西仙寺文書)によると金蔵院など六坊と富田中間とみたなかま村からの入作四名が土地を保有し高七二石余・田三町一反余、ほかに朱印地四反余。


西仙寺
さいせんじ

[現在地名]西脇市西田町

西田にしだ町の南西部山地の麓にある。和多山と号し、高野山真言宗。本尊は十一面千手観音。白雉二年(六五一)法道の開基と伝える。南北朝期に赤松氏の外護を受け栄えたという。赤松氏出身の良円、その孫弟子快舜は高野山の検校としても名を残した。「晴富宿禰記」明応二年(一四九三)四月一〇日条には晴富が侍従法師の懇望により富田とみた庄西仙寺の塔婆勧進帳を請書して与えたと記される。天文三年(一五三四)一二月一日の赤松政村書下(西仙寺文書)、永禄元年(一五五八)五月二日の在田国泰判物(同文書)では当寺の諸役が免除されている。永禄元年別所氏の兵火により本堂以外の堂塔が焼失したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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