坂中峠(読み)さかなかとうげ

日本歴史地名大系 「坂中峠」の解説

坂中峠
さかなかとうげ

高坂こうさか村枝郷坂口新田さかぐちしんでん村と西条にしじよう村枝郷坂中新田村(現長野市)との中間、三登みと山山稜の鞍部、標高八一七メートルの地点にある北国脇往還の脇道坂中道の峠であり、坂中・坂口両新田村は峠の南北坂本にある集落である。

慶長一六年(一六一一)牟礼宿農民は、牟礼宿からこの坂中峠を越えて善光寺に通じる道を開き新田を開発したいと、松平忠輝に願い出ているが、忠輝の老臣大久保長安らはこれを許さず、上杉景勝以来のとおり、香白坂かじろざかを通り長沼ながぬま(現長野市)へ直接往還すべきことを命じている(牟礼共有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報