土成村(読み)どなりむら

日本歴史地名大系 「土成村」の解説

土成村
どなりむら

[現在地名]土成町土成

阿波郡の東端に位置し、東は板野郡吉田よしだ村、南は柿原かきのはら(現吉野町)、西は成当なりとう村、北は板野郡宮河内みやごうち村。南流する九頭宇谷くずうだに川・熊谷くまだに川などによって形成された複合扇状地上にあり、南部を撫養むや街道が東西に通る。もとしろ村と称したという伝承がある。当村最古の記録として慶長七年(一六〇二)の土成村検地帳(寺井家文書)がある。慶長期のものと推定される国絵図に「どなり」、隣接して法輪寺ほうりんじとみえる。法輪寺村(法林寺村とも)は当村の枝村で、高野山真言宗法輪寺を中心として当村の西部に位置した。同二年の分限帳では土成村の二四六石余、法林寺村の三六二石余が山崎六郎右衛門の知行となっている。正保国絵図では土成村の高二四六石余。成当村を挟み北方に記される法林寺村の高三六三石余。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳によると、土成村は田方一四六石余・畠方一〇〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報