周防大島(町)(読み)すおうおおしま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「周防大島(町)」の意味・わかりやすい解説

周防大島(町)
すおうおおしま

山口県南東部、大島郡にある町。2004年(平成16)大島郡の久賀(くか)、大島、東和(とうわ)、橘(たちばな)の4町が合併して成立。町域は、瀬戸内海に浮かぶ周防大島(大島または屋代(やしろ)島ともいう)を中心とする島嶼(とうしょ)からなり、瀬戸内海国立公園に含まれる。同島のほか有人島として、浮(うか)島、沖家室(おきかむろ)島、情(なさけ)島、前島、笠佐(かささ)島がある。周防大島は沈水島で、屈曲の多い海岸線をもち、湾沿いに半農半漁の集落が散在する。大島大橋で本土柳井(やない)市と結ばれ、国道437号が通じる。島内最高峰の嘉納(かのう)山(685メートル)西麓(せいろく)の屋代川の谷に平野が開ける。古代の屋代郷、美敷(みふ)郷、務理(むり)郷の地。中世には、周防国衙(こくが)領、屋代荘、安下荘(あげのしょう)、島末荘(しまずえしょう)などがあり、和田は近世に毛利(もうり)水軍村上氏の給領地であった。久賀には萩藩大島宰判勘場(さいばんかんば)(代官所)が置かれた。明治以降はハワイへの移民を多く出した。

 果樹栽培が盛ん。北岸の日前(ひくま)は、嘉永(かえい)年間(1848~1854)に始まった大島ミカン(温州(うんしゅう)ミカン)栽培の発祥地。現在、ミカン栽培は全島に及び特産となっている。沿岸では小型底引網や釣り漁業が行われ、情島沖家室島では一本釣りが盛ん。小松塩田跡地ではクルマエビを養殖。小松には独立行政法人国立高等専門学校機構大島商船高等専門学校がある。安下庄のシナナシは国の天然記念物。西長寺の木造阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像は「日見の大仏(ひみのだいぶつ)」とよばれ、国の重要文化財に指定される。「久賀の諸職用具」「周防大島東部の生産用具」、医療用に使用された「久賀の石風呂(いしぶろ)」は国指定重要有形民俗文化財。この町出身の民俗学者宮本常一(みやもとつねいち)関係の文献・資料を展示する周防大島文化交流センター、久賀歴史民俗資料館、移民の歴史をたどる日本ハワイ移民資料館、旧海軍戦艦陸奥(むつ)の遺品などを展示する陸奥記念館、海水浴場などがある。面積138.09平方キロメートル、人口1万4798(2020)。

[編集部]


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