安下庄(読み)あげのしよう

日本歴史地名大系 「安下庄」の解説

安下庄
あげのしよう

安下庄湾に臨む現東安下庄・西安下庄辺りにあった妙法みようほう(現京都市東山区)領の荘園

文治二年(一一八六)一〇月源頼朝によって、大江広元が地頭に補せられた大島三ヵ荘(建久三年六月三日付「前右大将家政所下文」正閏史料外編一)の一つで、延応元年(一二三九)の四条天皇宣旨(門葉記)に、

<資料は省略されています>

とみえる。これによると、妙法院門跡となった綾小路宮尊性法親王が、延応元年八月に所領を尊守法親王に譲進したもので、妙法院門跡領であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安下庄」の意味・わかりやすい解説

安下庄
あげのしょう

山口県南東部、周防大島町(すおうおおしまちょう)の一地区。同町の中心をなす大島(周防大島)の中央部南岸に位置する。旧安下庄町。安下庄湾に面し、安下庄港がある。中世は京都妙法院の荘園(しょうえん)で、大島三ヶ荘の一つ。近世には広大な漁業権をもつ周防五浦随一の御立浦(おたてうら)として栄えた。

三浦 肇]

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世界大百科事典(旧版)内の安下庄の言及

【橘[町]】より

…人口6297(1995)。中心地の安下庄(あげのしよう)の地名は中世の京都妙法院領の荘園名に由来する。古くから漁業が盛んで,外浦第1の漁港があり,イワシ,タイ,カレイなどを水揚げしている。…

※「安下庄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」