周防国府跡(読み)すおうこくふあと

日本歴史地名大系 「周防国府跡」の解説

周防国府跡
すおうこくふあと

[現在地名]防府市国衙一―五丁目・多々良一―二丁目・警固町二丁目・勝間三丁目・惣社町付近

周防灘に面した防府平野の中央やや西寄り、多々良たたら山の南に広がる沖積段丘に立地する。大化改新以降に設置された周芳(防)国の国府で、それ以前の国造時代の周芳の中心は熊毛くまげ地方であったとされる。熊毛地方には周芳国造一族である周芳凡直が強大な勢力をもち、中央から国司が赴任して国務を執るにはあまりにその力が大きすぎるため、わざと熊毛の地を避けて交通の要衝である佐波さば川河口の平野に国府を置いたとするのが通説である。当時のこの付近は「日本書紀」に娑麼さば(景行天皇一二年)、沙麼之浦(仲哀天皇八年)、沙麼県主(神功皇后摂政前紀)、娑婆水門(雄略天皇二三年)などとあり、古くからよく知られた地であった。

国府の地は東は西溝辺にしみぞのべ川を限り、西は大樋おおひ土手の南北線を限り、北は佐波神社前の旧山陽道、南は現山陽本線の北側を限る八町四方の地で、条里に沿って一町ごとに縦横街路を通していたと思われる。そのうちの中央部北寄りの方二町の地が中心の官庁であった国衙で、中央南北に通る大路朱雀すじやく通と称されていたらしく、都の条坊を小型化した様相を呈していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報