多々良(読み)たたら

日本歴史地名大系 「多々良」の解説

多々良
たたら

多々良川河口一帯の地名。南岸は多々良潟といわれる遠干潟で、当地は同川を挟んで西に進めば箱崎はこざきから博多へ入ることができる交通の要衝であった。弘安一〇年(一二八七)三月二九日、異国警固構として「多々良潟」に乱杭六本を用意して打つことが命じられている(「少弐経資書下」中村文書/鎌倉遺文二一)建武三年(一三三六)後醍醐天皇に敗れ、九州に下向して少弐頼尚らに迎えられた足利尊氏が、筑後から大宰府・箱崎方面に進軍してきた菊池武敏軍と三月に多々良浜付近で交戦した。世にいう多々良浜合戦で、この戦いに勝利した尊氏は東上して南朝方を駆逐し、室町幕府の基礎を固めていくことになる。「梅松論」「太平記」では菊池軍が圧倒的多数であったと伝えているが疑わしい。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「多々良」の意味・わかりやすい解説

多々良
たたら

福岡市東区の住宅地区。旧糟屋(かすや)郡多々良町。博多(はかた)湾東岸の多々良川河口右岸に位置し、多々良浜は足利尊氏(あしかがたかうじ)と菊池武敏(たけとし)との合戦場として有名である。古くから水田農村として開けていたが、国道3号、西日本鉄道開通で急速に都市化が進み、現在は大規模な住宅団地が広がる。多田羅(たたら)遺跡周辺は条里制地割が残っている。

[石黒正紀]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「多々良」の意味・わかりやすい解説

多々良
たたら

福岡県北西部,福岡市東区,多々良川河口付近の地区。弘安4 (1281) 年の元寇に際しての防備線として,また延元1=建武3 (1336) 年足利尊氏が菊池武敏を破った地として有名。現在は住宅地化が進み,1975年には福岡流通センターが完成

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事典・日本の観光資源 「多々良」の解説

多々良

(群馬県館林市)
美しい日本のむら景観100選指定の観光名所。

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