吹屋町(読み)ふきやまち

日本歴史地名大系 「吹屋町」の解説

吹屋町
ふきやまち

[現在地名]金沢市桜町さくらまち

山伏やまぶし町の南西に続く。両側町で地子町。鎔屋町とも記し、かつて鋳物師が居住していたために生じた町名と伝える(金沢古蹟志)。延宝町絵図では加賀藩八家の一、横山氏の下屋敷を中心に百姓地・地子地・足軽組地などが混在している。「改作所旧記」にあげられる延宝四年(一六七六)の御用地召上対象地では「田井村領之内、吹屋町続」とみえる。元禄三年(一六九〇)当地より出火し、二一三軒を焼失した火災の記録では「田井村領吹屋町」(「続漸得雑記」加賀藩史料)、「浅野川吹屋町」(「加越能故事問答」加越能文庫)と記されている。明和五年(一七六八)にも一三八軒を焼失する火災が起こったが、政隣記(同文庫)にみえる同火災についての記載では「金沢吹屋町」とある。

吹屋町
ふきやまち

[現在地名]津山市吹屋町

吉井川畔に東西に連なる鋳物師の町。東は船頭せんどう町、西は桶屋おけや町・南新座みなみしんざ、北は新魚しんうお町。「武家聞伝記」慶長一二年(一六〇七)条に万灯会が催されたとあり、また同年九月二日条に洪水のため当町も押流されたと記す。正保城絵図に町屋が記され、万治町絵図には「鋳物師町」とみえる。寛永二年(一六二五)瓜生原うりゆうばら村・金屋かなや村などの鋳物師をこの地に移住させたという。町の南西部は享保九年(一七二四)南新座の侍屋敷を町屋にしたものである(津山誌)

吹屋町
ふきやちよう

[現在地名]和歌山市吹屋町一丁目

新富にいとみ町の南に続き、西は和歌川堤。文政一三年(一八三〇)御触書写(道成寺文書)に「庚申堂之辺より南迄建家之所を吹屋町」とするとみえる。同年の丁名増改時略図(田中家蔵)には「木戸より凡百二十一間余」とあり、新富町との間に木戸が設けられていた。町の北端にある熊野街道一里塚はもと一里山いちりやま町にあったが、新富町ができてから同町との境のこの地に移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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