吉野田村(読み)よしのだむら

日本歴史地名大系 「吉野田村」の解説

吉野田村
よしのだむら

[現在地名]浪岡町吉野田

浪岡村から原子はらこ(現五所川原市)に通じる道に沿い、南は郷山前ごうさんまえ村、北は下石川しもいしかわ村に接する。

天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「よし野田」とある。この葦野田よしのだ後年の吉野田村の西方の通称佐渡さどと思われる。佐渡福舘ふくだて(現常盤村)の間の捨水すてみず堰の傍らに佐渡の畑とよばれる古館跡があり、佐渡島より落ちのびてきた武士のもので、八幡宮は天和年間(一六八一―八四)勧請で、貞享四年(一六八七)古館より移したという(吉野田八幡宮神官長利家系譜・椙羽太路)近世の吉野田村の地は昔十津川とつがわといい、八幡宮建立当時は家数四、五軒であったが、一、二年後に四、五〇軒となり、貞享四年吉野田と改名したという(同系譜)

吉野田村
よしのだむら

[現在地名]袖ケ浦市吉野田

打越うちこし村の西に位置し、小櫃おびつ川支流の鎗水やりみず川が流れる。文禄三年(一五九四)上総国村高帳に村名がみえ、高三八四石。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数三九、旗本石原・飯塚・折井・跡部の四家領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報