吉原町(読み)よしわらまち

日本歴史地名大系 「吉原町」の解説

吉原町
よしわらまち

[現在地名]舞鶴市字東吉原ひがしよしわら・字西吉原

田辺城の北方伊佐津いさづ川右岸の川尻に位置する。漁業・海産物製造・加工業を中心にした町。

城下町田辺の漁民は、細川藤孝が田辺城を築城して以来、竹屋町たけやまち魚屋町うおやまちの川尻に住して漁業を行っていたが、藤孝の田辺籠城の時、水軍に劣らぬ働きをしたのでその功によって、領内の波打際三間は漁猟が自由に認められるという権利を受けたと伝えられている。

江戸時代には田辺藩海手かことしての扱いを受け、田辺藩領のみでなく、与謝竹野たかの両郡の沿岸まで出漁していた。享保一二年(一七二七)の火災により、城下が大部分焼失した際、藩の命令により下安久しもあぐ村の地であった現在地に移住させられ、吉原町がつくられた。

吉原町
よしわらちよう

[現在地名]西区しん町一丁目

新町しんまち遊廓の最も南に位置する東西の両側町。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図に「よし原」とみえる。天満葭原てんまよしわら(現北区)からこの地に移ったため吉原町と命名され(摂津名所図会)、同三年木津きづ川河口近くの三軒屋さんげんや(現大正区)から移った傾城屋もあるという(摂津名所図会大成・色道大鏡)。承応三年(一六五四)には下難波しもなんば村の畑地九反余が吉原町に渡され、葭原町跡地が替地として与えられた(「古来より新建家目論見一件」成舞家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報