川尻【かわしり】
肥後国を流れる緑川河口の河湊で,熊本城下の外港。現在熊本市に属する。河尻とも記される。鎌倉初期,河尻荘地頭河尻実明は河尻城を築き,河尻の津を河湊として整備発展させた。弘安年間(1278年−1288年)実明の子孫泰明は寒巌義尹を招き,河尻大渡(おおわたり)橋を架橋,その北を寺地として大慈寺を建立した。近世に入ると加藤清正の領有となる。清正は川尻御船手を置き,文禄・慶長の役の際には清正軍の軍事物資輸送の基地となった。熊本藩細川氏の時代になると町奉行による支配が行われ,御船手は引き続き熊本藩水軍の根拠地であった。商港としても発達し,また薩摩街道の宿場町でもあった。鉄道開通後は港の機能は失われた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
川尻
かわしり
熊本県中部,熊本市南部の緑川右岸の地区。旧町名。 1940年熊本市に編入。江戸時代には米,木材,酒の積出港として栄えたが,現在は港の機能はなく,酒造のほか,刃物,木桶などの製造が行われる。九州屈指の古刹といわれる大慈禅寺がある。 JR鹿児島本線川尻駅がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
かわ‐じり かは‥【川尻】
〘名〙 (「かわしり」とも)
※書紀(720)仁徳一一年四月(前田本訓)「且河の水横に逝(なが)れて流末(カハシリ)駃(と)からず」
※金刀比羅本保元(1220頃か)下「遙(はるばる)の河尻(カハシリ)より取り上げ奉りけれ共、はや云ふにかひなき有様也」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「川尻」の意味・読み・例文・類語
かわ‐じり〔かは‐〕【川尻】
1 川下。下流。
2 川口。
[類語]下流・川下
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
かわしり【川尻】
肥後国(熊本県)緑川の川口に発達した河港で,熊本城下町の外港。地名の初出は1199年(正治1)。河尻荘地頭河尻泰明に招かれた寒巌義尹は河尻大渡橋を架橋,1283年(弘安6)大慈寺を草創。鎌倉時代以来海上交通の要地として栄え,明代の図書編に牙子世六(八代),達加世(高瀬)などとともに肥後の港の一つとして開懐世利(かはせり)の名が見える。曹洞宗の開祖道元禅師が宋からの帰途川尻に漂着したと伝えるのも,交通の要所だったことの証であろう。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報