吉備内親王(読み)きびないしんのう

朝日日本歴史人物事典 「吉備内親王」の解説

吉備内親王

没年:天平1.2.12(729.3.16)
生年:生年不詳
草壁皇子と妃阿閉皇女(元明天皇)の皇女。長屋王の妃。文武・元正天皇と同母。「北宮」は別称か。霊亀1(715)年,長屋王の子(三世王)のうち内親王の生んだ男女は,母方の血筋を重んじて特に二世王とされた。神亀1(724)年,聖武即位に際し二品に叙される。祖父(天智,天武),母,兄,姉が天皇という皇位の至近距離にあり,長屋王(天智,天武の孫)との間の子は有力な皇位継承資格者だった。そのことが悲劇を招く。天平1(729)年,長屋王謀反という偽りの密告により邸宅は兵に囲まれ,王は自尽,内親王と4人の男子は首をくくった。藤原不比等の娘の生んだ子らは難にあわず,事件後ただちに内親王は無実,長屋王の親族,子孫はみな許すとされたことは,事件の狙いが王と内親王およびその子らの抹殺にあったことを明白に物語る。半年後に光明子が立后,藤原氏は目的を果たした。近年,平城宮近くの一等地から「吉備内親王大命」「長屋親王宮」などの木簡が多数出土,ふたりの邸宅跡と判明。夫婦がそれぞれに家政機関を持ち,協力して生活を営んでいた実態が明らかになった。長屋王の親族や他の妻との関係とともに,元明,元正との関わりも大きく,内親王の邸宅に結婚により長屋王が同居していたとの説もある。いわゆる「長屋王願経」にみえる「長屋殿下」の語と「北宮」の署名にも,ふたりの緊密な結びつきがうかがえる。<参考文献>永井路子「長屋王邸に異議あり」(『別冊文芸春秋』188号)

(義江明子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「吉備内親王」の意味・わかりやすい解説

吉備内親王 (きびないしんのう)
生没年:?-729(天平1)

奈良前期の皇族草壁皇子岡宮天皇)の皇女。母は元明天皇,長屋王の妻。715年(霊亀1)その子女皇孫の待遇をうけることとなり,724年(神亀1)には三品から二品に進んだが,729年2月の長屋王の変に捕らえられて処刑され,夫の長屋王や子息の膳夫王,桑田王,葛木王,鉤取王とともにみずから縊死した。屍は生馬山(現在の生駒山)に葬られることになったが,死後直ちに勅によって無罪とされ,その送葬も鼓吹(こすい)を停止された以外は,例に準じて行われ,家令,帳内らも放免された。なお712年(和銅5)に長屋王は文武天皇追善のため大般若経600巻の書写を発願したが,現存するこの写経の各巻跋語のあとには写経の場所を示すとみられる〈北宮〉の字がある。この北宮は平城京左京三条二坊六坪の特別史跡宮跡庭園から出土した貢進物付札の木簡にみえる〈北宮〉などとともに,いずれも吉備内親王の宮をさす。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉備内親王」の意味・わかりやすい解説

吉備内親王
きびないしんのう
(?―729)

長屋王(ながやおう)の室、草壁(くさかべ)皇子の娘。母は文武(もんむ)・元正(げんしょう)両天皇と同じく元明天皇とされる。715年(霊亀1)三品(さんぼん)で、その子女はみな皇孫の列に加えられた。724年(神亀1)二品(にほん)に昇叙。729年(天平1)長屋王の変に連座し、王とともに子の膳夫(かしわで)王、桑田王、葛木(かずらき)王、鉤取(かぎとり)王を伴って自経(じけい)した。夫妻の屍(しかばね)は生馬(いこま)(生駒)山に葬られた。712年(和銅5)文武天皇の追善に書写された「長屋王願経」1巻(大般若経(だいはんにゃきょう)巻23、根津美術館蔵)が伝わるが、奥書にみえる「北宮」は書写を行った内親王宮をさすとされている。近年、長屋王邸宅跡から吉備内親王の名や「北宮」「内親王御許」と記す木簡が出土し、邸内には内親王の居所があったものと推測されている。

[山本幸男]

『奈良国立文化財研究所編『平城京・長屋王邸宅と木簡』(1991・吉川弘文館)』『寺崎保広著『長屋王』(1999・吉川弘文館)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「吉備内親王」の解説

吉備内親王
きびないしんのう

?~729.2.12

北宮とも。長屋王の正室。草壁皇子の女。母は元明天皇とされている。膳夫(かしわで)王・桑田王・葛木王・鉤取(かぎとり)王らをもうける。715年(霊亀元)所生の王子女は皇孫扱いになる。724年(神亀元)三品から二品に昇る。729年(天平元)長屋王の変で膳夫王ら4人の子と自殺し,長屋王とともに生駒山に葬られる。近年のいわゆる長屋王家木簡には家政機関に関する木簡があり,注目される。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉備内親王」の解説

吉備内親王 きびのないしんのう

?-729 奈良時代,長屋王の妃。
父は草壁皇子。母は元明天皇。神亀(じんき)6年2月12日夫が長屋王の変で死罪となったとき,子の膳(かしわで)王,鉤取(かぎとり)王らとともに自害した。翌日内親王は無罪とする聖武(しょうむ)天皇の勅命がくだった。

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世界大百科事典(旧版)内の吉備内親王の言及

【長屋王】より

…鈴鹿王の兄。《続日本紀》の伝によると吉備内親王(元明天皇と草壁皇子の子)との間に膳夫王,桑田王,葛木王,鉤取王がおり,同書天平宝字7年(763)10月丙戌条の藤原弟貞伝によると,藤原不比等の女某との間に安宿(あすかべ)王,黄文(きぶみ)王,山背王(藤原弟貞),教勝がいた。そのほか賀茂女王,円方女王も王の女である。…

※「吉備内親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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