古墳人(読み)こふんじん

改訂新版 世界大百科事典 「古墳人」の意味・わかりやすい解説

古墳人 (こふんじん)

古墳時代の日本列島の住人。この時代畿内に初めて中央集権政府が生まれ,大陸から文字や仏教などの重要な文化要素や渡来人流入も引き続き起きた時代である。各地の住人形質にはまだかなりの地域差が見られるが,全体として弥生時代に北部九州を起点として起きた変化の波がより一層広く日本各地に拡散,浸透していった時代と言えよう。この時代の人骨は古くから比較的豊富に発見され,概ね縄文人との隔たりの大きさや現代日本人に近づく傾向などが指摘されていたが,東北や南九州では違った様相も見られ,一様ではない。いわゆる渡来系弥生人が分布する北部九州・山口県地方はもとより,弥生時代には一部に縄文人的特徴の残存も指摘されていた山陽から近畿にかけても,古墳時代になると高顔・高身長で代表される渡来形質の広がりが明確になる。とくに近畿では,高顔,高眼窩,狭鼻などに加え,後世までこの地域の人々の特徴となる短頭性が,早くも古墳時代から現れることが指摘されている。これら弥生時代の渡来人によってもたらされたと考えられる変化の波は,遅くとも古墳時代後半になるとは関東地方でも明らかになり,主に横穴墓から出土した人骨群は,高顔,高身長で顔面の扁平性が強く,頭蓋小変異の分析でも,縄文人との大きな隔たりが示された。また山口県の土井ヶ浜弥生人や中国の殷墟から出土した安陽人骨との類似性なども指摘されている。東北南部でも6-7世紀になると,宮城県五松山遺跡などで扁平顔の個体が混在している事実が確認され,一部に本州西部からの影響が及び始めている可能性も窺われるが,より北のいわゆる蝦夷の分布域については不明な点が多い。中世や近世期の資料に関する分析結果も加味すると,本州北端に近いこの地域では,他地域に比べてかなり縄文人的要素が後世まで存続していた可能性が考えられる。さらに北の北海道でも,本州との関係の色濃い道南では続縄文から擦文時代にかけて,この地の近世アイヌの特徴が強まる傾向が指摘されているが,道央や道東北部地方では顕著な変化は見られず,縄文時代以来の連続性が指摘されている。一方の九州南部も在来の形質を色濃く残した地域だが,宮崎県など東部の平野部では,この時代に扁平で面長な顔面形態へと変化する傾向が明らかになっている。さらに南の南西諸島のこの時代の状況は残念ながら資料不足で不明な点が多い。おそらく後世のグスク時代までは大きな変化が起きないまま経緯したものと推察される。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報