原新田村(読み)はらしんでんむら

日本歴史地名大系 「原新田村」の解説

原新田村
はらしんでんむら

[現在地名]信濃町大字平岡ひらおか

現信濃町の中央部。東は大古間おおふるま村・落合新田おちあいしんでん村、南は御領ごりよう(料)新田しんでん村、西は霊仙寺りようせんじ山腹原野、北は鳥居とりい川をもって柏原かしわばら村に接する。黒姫くろひめ・霊仙寺南山麓に開ける高原性平地の中央部を占める。北国脇往還の脇道坂中さかなか道に沿い、柏原仁之倉にのくらと御領村との中間に集落があり、ここから落合新田村を経て小古間村に道が通じている。

村の成立は、隣村の落合新田村と同様に大古間村新田から延宝年間(一六七三―八一)に分離独立したものとみられる(長野県町村誌)

原新田村
はらしんでんむら

[現在地名]会津若松湊町みなとまち赤井あかい

北は河沼郡強清水こわしみず新田村(現河東町)に郡界をもって接する。南は小坂を経て赤井村。寛永八年(一六三一)磯部九郎左衛門が開いたといい、同二年に築造された堤がある(新編会津風土記)。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」に原新田とある。

原組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高三八石余。化政期の家数三(新編会津風土記)

原新田村
はらしんでんむら

[現在地名]塩尻市大字広丘 原新田

川と奈良井ならい川の間の桔梗ききようはら台地一角にある。近世初頭に村の新田村として分村した。東は国道一九号を境に野村、北は吉田、西は奈良井川を隔てて小俣こまた(現松本市)、南は堅石かたいしに隣接する。

寛永一九年(一六四二)の信州松本御領分村々高附帳(百瀬家文書)には野村五八三石余、原新田村一一石余とあるのが文献上の初出で、野村の枝郷として寛永年間に分村したと推測される。

原新田村
はらしんでんむら

[現在地名]神川町原新田・元原もとはら

東は児玉郡下真下しもましも村、南は同郡上真下村(ともに現児玉町)熊野堂くまのどう村、北は大御堂おおみどう(現上里町)、西は元安保もとあぼ村。享保二年(一七一七)取替証文(大畠家文書)に「伊奈備前守様御開墾の村」とあり、近世前期の新開の地といわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報