南瀬村(読み)のうぜむら

日本歴史地名大系 「南瀬村」の解説

南瀬村
のうぜむら

[現在地名]東郷町南瀬

東郷の南東部、蛇行して西流する川内せんだい川の北岸に位置。西は斧淵おのぶち村、東は山崎やまさき二渡ふたわたり(現宮之城町)、南は川内川を境に樋脇ひわき倉野くらの(現樋脇町)・同郷久住くじゆう(現川内市)、北は山田やまだ村。文中三年(一三七四)五月二〇日の薩摩国願文(熊野本宮大社文書)に「とうこうなうせ」とみえる。戦国期末から近世初頭のものと推定される年欠一一月一〇日の出水公方向用途支配注文(清色亀鑑)に「南瀬分六町 一貫文」とある。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳では高九〇四石余。なお寛永六年(一六二九)一〇月一日の喜入忠続・伊勢貞昌連署知行目録(島津尚久系図)では高六六六石余。「三州御治世要覧」では延享(一七四四―四八)頃の高一千一八石余。

南瀬村
みなみせむら

[現在地名]厳原町豆酘瀬つつせ

豆酘村の北西に位置し、朝鮮海峡に面する。史料上は多く瀬村とするが、佐須さす郷の瀬村に対して瀬川の南にあることから南瀬村と称し、また豆酘郷に属することから豆酘瀬村とも通称する。「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に豆郡のうちとして「せ」とみえる。寛文二年(一六六二)検地帳に豆酘郡瀬村とあり、高一一石余。貞享三年(一六八六)の神社誌に瀬村としてほこ大明神・祇園・護法・松崎まつざき神・三宝荒神・石神いしがみ寄神・妙躰宮・しじき七郎しちろう殿が記されるが、いずれも社殿のない小祠。妙躰宮は北瀬村と共同祭祀で、神前に白い球形の玉石がうずたかく盛られている。瀬川河口の南手の耕作地は元禄元年(一六八八)北瀬村の高松羽左衛門が村人を指導して荒地を開いたもので、南瀬村分の領分が増えたことを感謝した念書(高松家文書)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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