南城(読み)ナンジョウ

デジタル大辞泉 「南城」の意味・読み・例文・類語

なんじょう〔ナンジヤウ〕【南城】

沖縄県沖縄島南部にある市。観光業のほか車海老などの養殖が盛ん。平成18年(2006)1月玉城たまぐすく村・知念ちねん村・佐敷町大里村が合併して成立。人口4.0万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「南城」の意味・わかりやすい解説

南城[市] (なんじょう)

沖縄県,沖縄島(本島)南部の市。2006年1月佐敷(さしき)町と大里(おおざと),玉城(たまぐすく),知念(ちねん)の3村が合体して発足した。人口3万9758(2010)。

南城市北西部の旧村。旧島尻郡所属。沖縄島(本島)南部の内陸地にある。人口1万1603(2005)。東側に南北に走る新期石灰岩の大里台地があるほかは小起伏の地形からなる。14世紀に大里城を拠点とした汪英紫は馬天(ばてん)港により対明貿易を行い,大里を発展させたが,後に琉球を統一した尚巴志(しようはし)(1372-1439)に滅ぼされた。第2次世界大戦前は県下有数のサトウキビ作地帯の純農村であった。稲嶺平良(たいら)の両村落は南北アメリカ,とくにブラジルへの移民が多いことで知られる。現在,サトウキビ,野菜,花卉などの農業のほか,豚,乳用牛の畜産も盛んである。史跡として,三山時代(14~15世紀)の南山系の大里城跡がある。

南城市北部の旧町。旧島尻郡所属。人口1万1456(2005)。沖縄島(本島)南部の知念半島の北側,中城(なかぐすく)湾に面する。馬天港を囲むように肥沃な泥灰岩土壌の低地が広がり,その背後は石灰岩で覆われた台地である。佐敷からでた尚巴志は馬天港に拠って中国や日本本土と貿易して力をたくわえ,1429年三山(琉球)を統一した。馬天港は帆船時代には山原(やんばる)船の港であり,また大東島航路の港でもあった。1947年に沖縄民政府が石川市から町内の新里に移り,約2年間政治の中心となった。現在の町の産業はサトウキビを基幹作物とし,野菜栽培と養豚を中心とした農牧業である。旧跡として,尚巴志が按司あじ)であったときの居城であった佐敷上城(うえぐすく)がある。富祖崎海岸一帯のハマジンチョウ(ジンチョウゲに似た常緑植物)は県の天然記念物に指定されている。

南城市南部の旧村。旧島尻郡所属。人口1万0568(2005)。東部では琉球石灰岩の台地が海へ向かって緩傾斜し,西部では起伏に富む丘陵が発達,海上に奥武(おう)島がある。中心集落は富里(ふさと)で,国道133号線が那覇市へ通じる。産業はサトウキビ作のほか,近年は野菜,花卉栽培,乳用牛の畜産が盛んになってきた。奥武島では沿岸漁業を営む。琉球王朝時代からの遺跡や聖地が多く,東の旧知念村とともに〈神の国〉とよばれ,〈東御回り(アガリウマーイ)〉という巡礼路になっている。稲作発祥伝説のある聖泉〈受水(うきんじゆ)・走水(はいんじゆ)〉と聖田〈御穂田(みふーだ)〉,アマミキヨが築いたという玉城城跡,アマミキヨが最初に住んだというミントン城跡,14世紀前半の糸数(いとかず)の按司築城という糸数城跡(史)などがその巡礼地である。雄樋(ゆひ)川沿いには1967年発見の大鍾乳洞玉泉洞がある。

南城市北東端の旧村。旧島尻郡所属。沖縄島(本島)南部の知念半島東部にあり,沖合の久高(くだか)島など5島を含む。人口6024(2005)。南半部は高崖に仕切られた台地で,北半部の台地の斜面は緩傾斜で海岸低地がよく発達している。久高島は隆起サンゴ礁からなる低平な島である。西隣の旧玉城村とともに沖縄の開闢(かいびやく)神アマミキヨにかかわる神話,伝説の多い村で知られる。かつては稲作が行われていたが,現在はサトウキビ作のほか,本土出荷の野菜栽培が盛んになってきた。また乳用牛の畜産および沿岸漁業も行われる。久高島には地割制度のなごりがある。史跡として,琉球創造にかかわる聖地の斎場御嶽(せーふあうたき)や久高島にはフボー御嶽がある。久高島のイザイホーは12年ごとに行われる秘祭である。
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