本島(読み)ホントウ

デジタル大辞泉 「本島」の意味・読み・例文・類語

ほん‐とう〔‐タウ〕【本島】

群島や列島の中で、中心となる島。「沖縄本島
この島。

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精選版 日本国語大辞典 「本島」の意味・読み・例文・類語

ほん‐とう ‥タウ【本島】

〘名〙
① 群島や列島の中で、中心となる大きな島。
※内地雑居未来之夢(1886)〈坪内逍遙〉二「大ブリタニヤの本島(ホンタウ)
② 特に、本州をさしていう。
※幼学読本(1887)〈西邨貞〉七「日本国中央に在りて、殆ど其の三分の二を占むる一大嶋を本土又は本嶋と云ふ」
話題にしている、この島。
官板海外新聞(1862)文久元年一二月一六日「来島〈略〉本島の船二十七艘なり」

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日本歴史地名大系 「本島」の解説

本島
ほんじま

瀬戸内海のほぼ中央に位置し、東は(現坂出市)、西はひろ島、南はうし島。東部に高無防たかんぼ(一九九・四メートル)西部小阪こさか(二〇三・九メートル)があり、海岸部の低地集落が点在する。東西二三町半・南北三五町、島回り三里九町(塩飽島諸事覚)塩飽しわく諸島の中心の島で、七浦が幕府直轄の島中船方領。天正一八年(一五九〇)の七浦の斗代による算定検地高は六三一石余、うち田一一五石余・畑五一五石余で(慶長一一年田畑打出し所次第「島中集旧記書」塩飽勤番所顕彰保存会蔵)、島中船方領の約半分を占めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本島」の意味・わかりやすい解説

本島
ほんじま

香川県西部、備讃(びさん)瀬戸に浮かぶ塩飽(しわく)諸島の中心をなす島。丸亀(まるがめ)市に属す。面積6.77平方キロメートル。南岸の泊(とまり)港へ丸亀、児島(岡山県)両港からの定期船便がある。歴史上重要な塩飽七島の一つで、中世には塩飽水軍が活躍し、その功績によって豊臣(とよとみ)秀吉徳川家康は、人名(にんみょう)とよばれる自治制度を認める朱印状を650人の船方に与えた。人名から選ばれた年寄4人が本島の勤番所で政務をとった。勤番所跡は修復され、国の史跡に指定されている。また朱印状も保存されている。北東部にある笠島の集落は瀬戸内の港町の様子を伝え、国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。このほか、島内には史跡や文化財が多い。正覚院(しょうかくいん)は天平(てんぴょう)年間(729~749)に創建された古刹(こさつ)で、聖観音(しょうかんのん)像、不動明王像など国指定重要文化財も多い。自給的農業のほか、クルマエビの養殖も行われる。瀬戸大橋開通に伴う観光開発も進んでいる。過疎化が著しく、空き家が目だつ集落も多い。人口607(2009)。

坂口良昭]


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改訂新版 世界大百科事典 「本島」の意味・わかりやすい解説

本島 (ほんじま)

香川県北西部,瀬戸内海の塩飽(しわく)諸島の中心の島。丸亀市に属する。面積6.74km2,人口870(1995)。南西部に最高点(204m)がある。塩飽人名(にんみよう)制の役所である勤番所(史)が現存し,織田信長豊臣秀吉,徳川家康の朱印状が保存されている。650人の人名の自治制は実際は宮本家など一部の年寄の合議で行われた。島内には人名にかかわる遺跡が多い。丸亀~下津井間のフェリーの寄航地で(2008年現在,丸亀との往復航路),海水浴場としてもにぎわう。クルマエビの養殖が盛ん。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本島」の意味・わかりやすい解説

本島
ほんじま

香川県北西部,塩飽諸島の中心をなす島。丸亀市に属する。最高点は 204m。花崗岩類に雲母片岩,石英斑岩,讃岐岩質安山岩などをはさみ,岩質のもろいところに谷や湾がある。古代から海運が盛んで,かつて塩飽諸島の自治を行なった塩飽勤番所跡 (史跡) が南岸の泊に残っている。ほかにも伝統的建造物保存地区指定の笠島集落,農村歌舞伎「千歳座」の舞台,正覚院などの古刹がある。農業,沿岸漁業,塩田跡地利用の養殖漁業を行う。近年,離島者が増加。泊は島の中心地で,丸亀港と下津井港 (岡山県) を結ぶフェリーが寄港する。面積 6.74km2。人口 768 (2000) 。

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デジタル大辞泉プラス 「本島」の解説

本島

香川県丸亀市、丸亀港の北約10キロメートルに位置する島。「ほんじま」と読む。「塩飽本島」ともいう。面積約6.77平方キロメートル。塩飽(しわく)諸島は、豊臣秀吉の九州攻めの際に雇い入れられた船方たちが大いに貢献したことから、自治権を安堵された。船方たちは人名(にんみょう)という独特の制度で自治を行い、本島はその中心地として、4人の年寄が執務にあたる勤番所が設置された。勤番所跡地は国の史跡に指定。集落には江戸時代や明治時代の古い家並みが残る。

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世界大百科事典(旧版)内の本島の言及

【塩飽諸島】より

…〈しあくしょとう〉とも呼ぶ。おもな島は塩飽七島と呼ばれる本島(ほんじま),広島,牛島,手島(以上丸亀市),櫃石(ひついし)島,与島(坂出市),高見島(多度津町)である。古来,内海の水運の拠点であった。…

※「本島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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