十市遠忠(読み)とおち・とおただ

朝日日本歴史人物事典 「十市遠忠」の解説

十市遠忠

没年天文14.3.16(1545.4.26)
生年:明応6(1497)
室町時代武将,歌人。十市新左衛門の子。兵部少輔を自称。大和国の豪族で,山辺郡に竜王山城を築くなど,十市氏の勢力確立に貢献した。三条西実隆・公条を和歌の師とし,家集『日次詠草』のほか,『十市遠忠百首』『十市遠忠百番自歌合』など,活発な詠歌活動を展開するとともに,多数の歌書を書写して後世に伝えた。神仏をあつく信仰して,法楽歌を多く詠ずる一方,「大比叡やかたぶく月の木の間より湖なかばある影をしぞ思ふ」のように,戦国武士らしいスケールの大きな作品をも残している。<参考文献>井上宗雄『改定新版 中世歌壇史の研究/室町後期』

(加藤睦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「十市遠忠」の解説

十市遠忠 とおち-とおただ

1497-1545 戦国時代の武将,歌人。
明応6年生まれ。大和十市(奈良県橿原(かしはら)市)の豪族で竜王山城をきずいて勢力をのばす。兵部大輔(ひょうぶのたいふ)。徳大寺実淳(さねあつ)にまなび,三条西実隆(さねたか)らの合点をえた歌集がのこる。おおくの歌書を書写し,後世につたえた。天文(てんぶん)14年3月16日死去。49歳。歌集に「十市遠忠詠草」など。

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