医原性疾患総論

内科学 第10版 「医原性疾患総論」の解説

医原性疾患総論(医原性疾患)

 医原性疾患(iatrogenic disease)とは,疾病そのものではなく「医療」に起因して患者に発生した「精神・身体上の不具合」の総称である.合併症,副作用,不可抗力によるものなどが広く含まれ,過失の有無によらない.「診断」や「治療」の過程のみならず,「入院生活」や「病院システム」など,さまざまな場面で発生する.医学や医療は本来,人間の健康福祉の向上に寄与するためのものであり,医原性疾患の発生は望ましいものでない.医療に携わる者は,医原性疾患が発生しやすい状況やその誘因をよく理解し,極力予防に努めるとともに,発生時の早期診断・早期治療に備えて,日頃から医原性疾患の診断と治療に関する知識と技術を整理しておかなければならない.
(1)医療の有害性
 医療の有害性は古くより知られていた.ハンムラビ法典(Code of Hammurabi,紀元前18世紀)218条には,「手術で人を死亡させたり,目を潰したときは,医師の両手を切断する」とある.また,ヒポクラテスは,その誓い(The Hippocratic Oath,紀元前4世紀)のなかで,「above all, do no harm(何よりも患者に害をなすなかれ)」と説いている.このように,医療は諸刃の剣であり,非常に役立つ一方で,大きな害をもたらす危険性を常に内包している.
(2)定義・概念
 はじめ,Hurstは医原性疾患を,検査あるいは医師の態度や説明に起因する,患者の自己暗示によって引き起こされた病気と規定した(1932年).このような心因性の医原性疾患は,医原性神経症(iatrogenic neurosis)ともいい,医療従事者の些細な態度や言動,テレビや新聞などのマスメディアによって誇張された情報あるいは,医療現場における厳密なインフォームドコンセントや煩雑な手続きによって引き起こされる,さまざまな心気症状,抑うつ気分,不安などをいう. 一方で,Schipkowenskyは,医原性疾患を,医師の行為または不作為によって引き起こされる疾病またはその増悪と定め,心因性のものと身体因性のものに分類した(1970年代). その後20世紀の後半に医療技術は急速に進歩かつ強力化した.鋭利なメス,強力な薬物療法切れ味のよい放射線治療,人体を改変できる遺伝子治療など,新規開発された医療技術は,強力であればあるほど,人体に対して有害になり得る.20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて,身体因性医原性疾患(医原性身体症)が,かなりの頻度で発生しかつ重篤な結果をもたらすことが明らかになり,医療界のみならず,社会的に大きな問題になった.さらに医原性身体症を有する患者が,医療従事者による隠蔽や不適切な説明によって心因性にも病む事例も見受けられた.
(3)医原性疾患と医療事故
a.医療事故との関係
 疾病そのものではなく医療を通じて患者に発生した傷害(an unintended injury caused by medical management rather than by the disease process)を医療事故(medical injury)という.これには,過失によるものと,過失によらないものを含む(中島ら,2000).身体因性医原性疾患は,医療事故とほぼ同じ概念である.医原性疾患が主として事故発生後に患者に生じた結果(病状)を示しているのに対して,医療事故は医原性疾患の発生過程を重視した表現である.
b.医療事故と医療過誤
 医療事故のうち,①医療行為に過失があること,②患者に傷害があること,③過失と患者の傷害の間に因果関係があることの3要件がそろったものを,医療過誤(medical malpractice)という.「過失によって発生した医療事故」は,医療過誤と同じ意味である.同様に,医原性疾患の中にも,①「病因」として医療行為に過失があり,②患者に身体傷害があり,③過失と患者の身体傷害の間に因果関係があるもの,すなわち「過失による医原性疾患」がある.
c.医療事故の頻度
 ニューヨーク州51病院の入院患者(30121人)における医療事故の調査で毎年3.7%の頻度で発生し,そのうちの13.6%(入院患者の0.5%)が死亡していた(Brennanら,1991).この確率に基づいて推測すると,米国では毎年4万〜10万人が医療事故によって死亡している.
 米国はその後国家的規模で医療事故の解明に取り組み,1999年に,アメリカ医学研究所医療の質に関する委員会は,“To Err is Human: Building a Safer Health System(人は間違えるもの:安全な医療システムをめざして)”を発表した.そのなかで,生体の反応が多様であることを背景に,医療のなかで生命は容易に失われること,人間の能力は完璧ではなく,個人の力で医療事故を防止することには限界があることを指摘した.
d.ヒューマンエラー
 人間と技術を適切に調和させるうえで避けられない人間特性の1つにヒューマンエラー(human error)がある.医療はきわめて複雑なシステムであるうえ,ほとんどの作業が人の手を介して行われる.医師Lewis Thomasは,著書“To Err Is Human”(1974)の中で,「間違いは人間の中に埋もれながら根を張っている.逆に間違うという宿命をきちんと把握できなければ,人の役に立つことなど到底できない」と述べた. ヒューマンエラーをすべて個人の責任だと非難し,エラーを起こした人を解雇したり,制裁することは社会の中でごく最近まで普通に行われてきた.これに対して,安全管理の専門家は,非難や制裁は再発防止にあまり役立たないこと,エラーの成因を多面的にとらえ,「人はエラーをする」ことを前提に,システムを改善する必要性を指摘している.
(4)医原性疾患が発生したとき
 医原性疾患が発生したときに,医師はすみやかに,①診療(テクニカルスキル)と②診療以外のノンテクニカルスキルに最善を尽くす(表16-3-1). 医原性疾患は,医療事故と同時に発生する場合と遅れて発生する場合がある.すなわち,血管や臓器の損傷では速やかに出血などの身体障害が発生するが,薬物誤投与や放射線誤照射では身体障害が発現するまでに数分から数カ月の猶予がある.いずれの場合でも事故発生と同時に早期診断と早期治療に努める.それと同時に患者に対して「説明」と「診療」を開始する.猶予があるからといって身体障害が発生しないことを秘かに期待して「様子をみる」態度は,患者の信頼を損なう.リスクの大小にかかわらず,「現在の状況」を患者に説明し,遺憾の気持ちを伝えつつ患者の理解と協力のもとで,最善のチーム診療態勢を構築して診療する.なお,最近では説明の場にメディエーター(中立的立会人)を同席させる医療施設が増えている. 最後に,③医療過誤の有無とその影響範囲を慎重に判断する.診断の項で詳述するが,医療安全を専門とする部署とともに判断するのが望ましい.医療チームが自らの過失の有無とその影響範囲を正確に診断し,患者に納得してもらうのが理想である(表16-3-2).その一方,当事者間で決着がつかずに紛争化する事例がある.主治医や医療施設の管理者は,全体の状況を冷静に判断し,不信感が強いなど当事者間で決着し難い状況がある場合は,あらかじめ第三者を含めた,あるいは,第三者による事故調査を依頼する方が事態は冷静に推移しやすい.
(5)医原性疾患の診断および鑑別
a.医原性疾患における診断の進め方
 医原性疾患の診断では,まず医原性の傷害があるかどうかを診断する.次に医療行為における過失の有無を診断する.続いて,傷害の重症度を評価する.過失がある場合はさらに,過失と傷害の因果関係(過失が心身傷害に及ぼした影響範囲)を正確に評価する.過失による医原性疾患では,治療費の弁済や損害賠償が発生することが多く,過失の有無とその影響範囲を正確に診断して,説明しなければならない.説明の際は,通常の診断を説明するとき以上に,首尾一貫した客観性(独善的見解でないこと)が求められることに注意する.
b.過失の判断
 過失とは,結果から判断することではない.結果がよくても過失は過失であり,結果が死亡であっても過失でない医療行為は多い.過失には,大きく分けて,計画通り行動できなかったエラー(スリップ)と間違った行動計画を立案したエラー(ミステーク)の2種類がある.また,適切な医療行為には一定の幅(裁量)があり,許容できる範囲か,許容できない範囲(逸脱)かの判断には個人差がある.特に医療行為が許容と逸脱の間のグレーゾーンにある場合は,主治医または医療施設の管理者は進んで,第三者を含めた,あるいは第三者による検討を求めることが望ましい.この手続きにより論点と議論が客観化され,患者にとって納得されやすいものになる.
c.傷害(影響度)の判断
 医療事故が患者に与えた影響を,傷害の程度と継続性という観点から分類したものを医療事故の影響度分類という(表16-3-3).これは医原性疾患の身体的重症度ともいえる.たとえば,影響度3bとは,傷害は高度(生命に影響を与える程度)であったが,一過性で回復したことを意味する.この分類はわかりやすいので,わが国ではよく普及している.ただし,事故前に身体障害がないことを前提とした「影響度」であるため,事故発生前に重大な疾患や重度の障害を有している事例や,すでに人工呼吸器下であった事例では,補足を付けて使用する.また,この分類は医療が患者に与える精神的影響(心因性医原性疾患)の評価には適さない.
d.過失と傷害の因果関係の判断
 一般に,患者には医療行為を受けるに至った本来の原疾患があり,その病状を有している.したがって,患者の病状のうち,本来の疾患に起因する部分と医療行為に起因する部分を切り分けることが,医原性疾患では診断の要となる.しかし,これはしばしば容易ではない. たとえば,喘鳴を有する患者を気管支喘息と診断し,気管支拡張薬を投与したところ,紅斑が出現した場合を考えてみよう.この紅斑については,過失のない医原性疾患(A),過失のある医原性疾患(B),医原性疾患ではない(C),の3通りの鑑別が考えられる.
 もし,気管支喘息が正診であれば,気管支拡張薬の投与は適切な治療であり,出現した紅斑は,薬疹(A),あるいは,喘息の随伴症状かまったく別の偶発症(C)が考えられる.もし,気管支喘息が誤診で,気管支拡張薬の投与が不適切な治療であれば,紅斑は,気管支拡張薬の誤投与に伴う薬疹(B)あるいは,未知の疾患の随伴症状かまったく別の偶発症(C)が考えられる. 以上のように,医原性疾患の正確な診断は,通常の診断以上に容易ではない.
(6)診断に基づく社会的対応
 前述のように,医原性疾患の正確な診断は熟練を要する作業である.さらに,その診断が,社会的対応(謝罪や補償内容)に大きくかかわってくる点に通常疾患の診断とは異質の重要性がある.上記の症例で,出現した症状が紅斑ではなく,影響度4の後遺障害や5の死亡であったとすれば,診断に基づく社会的対応の重要性が了解されよう.気管支拡張薬の投与が,後遺障害や死亡に対してどの程度の因果関係を有するか,正確に診断して説明する必要がある.また,医原性疾患発病前の患者の病状によっては,生存期間や逸失利益の見込みも変わり,社会的対応もまた大きく異なる.
(7)医原性疾患の治療
 正確な診断に基づいて行う.医療行為のなかに病因がある場合は,該当する医療行為をやめることが可能であるか,またはやめる際に生じる利益が不利益を上回るかを,原疾患の病状を含めて,注意深く検討する.たとえば,出血性疾患の治療中に医原性の血栓塞栓症を生じたとしても,出血性疾患(原疾患)と血栓性疾患を同時に治療することはできない.はじめ活動性の出血を止めるための治療を優先し,一度止血した後に血栓性疾患の治療を慎重に始めるなど,難しい判断を必要とすることが多い.
(8)医原性疾患の予防
a.情報収集
 医療は有害性を内包しているうえに,患者の生体反応も多様であるため,再発を防止できない医原性疾患は数多い.これらを解決するためには将来の医学の発展が待たれる.その一方で,予防できる医原性疾患も少なくない.そのためには,まず医療施設内で診療録をチェックしたりインシデントなどの報告制度を整備して情報収集する(本間,2012).続いて,医療行為を行う者(医療従事者),医療行為を受ける者(患者),医療システムの管理者(医療施設の管理者)の三者が医療安全の改善に向けて協働するシステムを構築する.
b.医療従事者の役割
 医療従事者は,医療技術の安全な取り扱い方,事故発生時の対応,医療技術の品質管理に精通する.特に医療技術の安全な取り扱い方法を学ぶには,3ステップ戦略(設計・防御・情報)が有用である(表16-3-4).また,実際に発生したインシデントなどから再発防止策を作成する分析法がある(表16-3-5).
c.患者の役割
 患者が,自らの病状と医療の危険性をともに理解したうえで,自らの価値観に合った,実現可能な目標と方法を選び(インフォームドコンセント),目標達成に向けて協力するよう,働きかける.
d.医療施設の管理者の役割
 医療施設の管理者は,限られた医療資源が適材適所に配置され,平常時にも事故発生時にも効率よく機能するようこのシステムを整備し,安定的に維持する必要がある.最近では,管理者の権限を一部委譲し,これらの協働を推進・促進させる部署(医療安全管理室)を設置している医療施設が多い.[本間 覚]
■文献
Brennan TA, Leape LL, et al: Incidence of adverse events and negligence in hospitalized patients. Results of the Harvard Medical Practice Study I. N Engl J Med, 324: 370-376,1991.
本間 覚:インシデント・アクシデントの重要性.日本内科学会雑誌,101: 3368-3378, 2012. 中島和江,児玉安司:ヘルスケアリスクマネージメント,医学書院,東京,2000.

出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報