助任橋(読み)すけとうばし

日本歴史地名大系 「助任橋」の解説

助任橋
すけとうばし

徳島の会所かいしよ丁北詰(現徳島町三丁目・中徳島町二丁目)常三島じようさんじま(現南常三島町一丁目)間の助任川に架けられていた木橋。架橋地点は「異本阿波志」によると二代藩主蜂須賀忠英の時に徳島城西の丸より助任村に架けたとあり、「阿波志」でも当初は西の丸より架けられていたとしており、注目される。架橋の時期は不詳であるが、年不詳八月二七日付の佐古・助任・寺島橋に付申付御状(御大典記念民政資料)によれば、助任橋は寺島てらしま(徳島)橋や佐古さこ橋とともに造られたことがわかり、蜂須賀家政の入国直後に架けられたことが想像される。また同状では、交通の要衝に位置し常時人々の往来が予想されるために強固な橋造りが命じられている。

元禄四年(一六九一)御山下絵図によると橋の長さは七六間半、幅は四間四尺であった。しかし享保一七年(一七三二)架直し直前には橋の長さが七七間三尺、幅が三間五尺七寸となっており(「阿州城下助任橋破損一巻帳」蜂須賀家文書)、この間に橋の規模が縮小されたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報