佐古(読み)さこ

日本歴史地名大系 「佐古」の解説

佐古
さこ

[現在地名]徳島市佐古一番町さこいちばんちよう佐古二番町さこにばんちよう佐古三番町さこさんばんちよう佐古四番町さこよんばんちよう佐古五番町さこごばんちよう南佐古一番町みなみさこいちばんちよう南佐古二番町みなみさこにばんちよう南佐古三番町みなみさこさんばんちよう南佐古四番町みなみさこよんばんちよう南佐古五番町みなみさこごばんちよう

山北麓を東流する佐古川北岸にある武家地。南に佐古町があり、北と西を佐古村、東を南東流する田宮たみや川に囲まれる。地名の由来は、「阿波志」によれば山谷で水がないものを佐古というとある。

武家地佐古の成立年代は不詳であるが、寛永八―一三年(一六三一―三六)の忠英様御代御山下画図には、佐古の地は侍屋敷や町屋ではなく村方として表現されているが、「町屋ニ被成所」という付紙があり、当時町屋として開発されていたことがわかる。正保三年(一六四六)の徳島城之図(国立公文書館蔵)では佐古川北岸に沿うように東西に細長く町屋が、その北側に佐古町と並行に足軽町、さらにその北に侍屋敷が描かれており、武家地佐古の成立をみることができる。また佐古の南西にも足軽町がみえ、同地(現南佐古三番町・南佐古四番町・南佐古五番町)は「阿波志」には武家地の大安寺だいあんじとみえ、古くは初江はつえといい、佐古から分れたとある。同書によれば佐古の規模は縦二〇〇歩ばかり、横六二八歩。

文化九年(一八一二)島々丁名改目録では、佐古には妙法みようほう寺前から南北に走る定普請じようぶしん丁、諏訪神社から北へ直進する馬場筋があり、この間になが小路とえのき小路が南北に走る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報