御山下絵図(読み)ごさんげえず

日本歴史地名大系 「御山下絵図」の解説

御山下絵図(元禄四年の御山下絵図)
ごさんげえず

寸法 一五六×一九二センチ(彩色)

成立 元禄四年

原本 国立国文学研究資料館史料館所蔵蜂須賀家文書

解説 綱矩様御代御山下絵図ともいう。端書には元禄四年六月年紀のほかに当時の御普請奉行であった寺沢源右衛門・竹田六左衛門・村井三太夫の名が記されている。当絵図以前の徳島城下絵図に「侍屋敷」と表示されていた個所には高取士分以上の家士の姓名が記されていることから、屋敷割図としての性格をもつ。図中の約五〇ヵ所には「スレ」または「スレ屋敷」と記された赤色の小紙片が約五〇ヵ所にわたって付されている。「スレ」とは「受之」のことで、家禄の没収致仕転任などによって御普請奉行に返上した屋敷を意味する。当絵図にも支藩富田藩の「飛州様御屋敷」がみえるほか、足軽については「御持筒」「御弓町」「定普請町」などのように役向による町名や「足軽町」との記載がある。徳島橋・助任橋・福島橋などについては橋長・幅などが小書きされている。佐古町では一一丁目付近の二本松まで郷町が記され、城下町の拡大の様子をみることができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報