日本大百科全書(ニッポニカ) 「加古川(市)」の意味・わかりやすい解説
加古川(市)
かこがわ
兵庫県南部にある市。加古川の下流に位置し、播磨灘(はりまなだ)に臨む。1950年(昭和25)加古川町と神野(かんの)、野口、平岡、尾上(おのえ)の4村が合併して市制施行。1951年に別府(べふ)町、1955年に八幡(やわた)、平荘(へいそう)、上荘(かみしょう)の3村、1956年に東神吉(かんき)、西神吉の2村と米田(よねだ)町の一部、1979年に志方(しかた)町を編入。2002年(平成14)特例市に移行(2015年施行時特例市に名称変更)。市域は沖積低地と加古川左岸の洪積台地印南野(いなみの)にまたがるが、河道の不安定であった右岸は洪水に悩まされてきた。JR山陽本線が東西に走り、JR加古川線を分岐する。加古川線厄神(やくじん)駅で三木鉄道と接続していたが、同鉄道は2008年3月に廃止された。海岸沿いには山陽電鉄が通る。国道2号と250号が東西に抜けるが、交通量が増え、加古川バイパスがある。また、北部を山陽自動車道が走り、加古川北インターチェンジがある。加古川左岸には早くに聖徳太子の命により鶴林寺(かくりんじ)が建立され、奈良時代にはその北に賀古(かこ)の駅家(うまや)が置かれて西国街道筋の重要な宿駅であった。近世の宿場町は加古川の渡河地点に発達し、河岸は高瀬舟の往来でにぎわった。明治以後は「毛織物と肥料の町」として知られたが、1960年代に入って大規模な埋立てが行われ、白砂青松は消え、神戸製鋼などの大企業が進出した。播磨工業地域に含まれる。住宅建設も増加し、神野団地の建設以後一段と市街化が進み、人口の激増地域となった。JR加古川駅、東加古川駅周辺は市街地再開発が進み、姫路、神戸の中間的商業圏として発達している。文化財も豊富で、鶴林寺には国宝の本堂、太子堂があり、銅造聖観音立像など国指定重要文化財も多い。尾上神社(おのえじんじゃ)は重要文化財の銅鐘と「尾上の松」で知られる。国指定史跡に西条古墳群がある。ブラジルのマリンガ市、ニュージーランドのオークランド市、中国の桂林(けいりん)市とは姉妹都市。面積138.48平方キロメートル、人口26万0878(2020)。
[大槻 守]
『『加古川市誌』全2巻(1953~1971・加古川市)』▽『加古川の文化を語る会編『加古川の昔と今』(1982・加古川文化連盟)』▽『『加古川市史』全9冊(1985~2000・加古川市)』