刀根村(読み)とねむら

日本歴史地名大系 「刀根村」の解説

刀根村
とねむら

[現在地名]敦賀市刀根・杉箸すぎはし

麻生口あそぐち村の東に位置し、刀根越が通る。刀根越は東近江路と西近江路を東西に結ぶ間道で、久々坂くぐさか(刀禰坂)ともいう。また当地からは北方に位置する枝村杉箸、池河内いけのこうち村を経て谷口たにぐち(木ノ芽道が通る)に至る道もあり、交通の要衝である。「今昔物語集」の「越前国敦賀女、蒙観音利益語」にみえる美濃より敦賀に出て若狭に赴く話も、また「太平記」巻一七(金崎城攻事付野中八郎事)にみえる「細川源蔵人ハ四国ノ勢二万余騎ヲ率シテ、東近江ヨリ向ハル」も、この刀根越を通ったものと思われる。天正元年(一五七三)八月一三日、やな(現滋賀県伊香郡余呉町)に布陣した越前朝倉勢が疋田ひきた敗走の途中この坂で織田信長勢の追撃をうけている(朝倉始末記)

天正八年敦賀代官武藤助十郎は、郡内の各街道の五ヵ所に上り荷物の継場を定めたが、刀根越には当村に置かれた(疋田記)

刀根村
とねむら

[現在地名]掛合町波多はた

はた村と入間いるま村の南にあり、「出雲国風土記」にみえる飯石郡の「波多径」の南に位置する。南東部に「へぎ」とよばれる小集落があり、日置氏の故地と考えれば、刀根すなわち刀禰の地名の起りに一連のつながりを類推することができる。野田のだ山の麓につるぎ大明神が祀られていたが中刀根の低地に移され、明治三九年(一九〇六)波多神社に移された。寛文四年(一六六四)の高一六〇石余だが、庄屋をもつ独立村であった。寛政年間(一七八九―一八〇一)には高一六一石とほとんど変化はない。万定引残高の内訳は田七四石・畑一二石、新田二石余(以上「飯石郡誌」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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