飯石郡(読み)いいしぐん

日本歴史地名大系 「飯石郡」の解説

飯石郡
いいしぐん

面積:五四八・九平方キロ
三刀屋みとや町・掛合かけや町・吉田よしだ村・頓原とんばら町・赤来あかぎ

旧出雲国南西端にあり、東は大原郡加茂かも町・木次きすき町・仁多にた郡仁多町、南は広島県比婆ひば高野たかの町・同県双見ふたみ布野ふの村・作木さくぎ村、北は出雲市・簸川ひかわ佐田さだ町、西は大田市・邑智おおち郡邑智町・大和だいわ村に接する。中国山地中にあり、郡東部を斐伊川支流の三刀屋川が北東流し、郡西部を神戸かんど川が北流し、その流域に小平地がある。北東部の三刀屋町から掛合町頓原町、南西部の赤来町へと国道五四号が縦貫し、広島県三次みよし市に抜け、郡内はもとより山陰・山陽を結ぶ交通の大動脈となっている。「和名抄」東急本国郡部は「伊比之」と訓じる。

〔古代〕

「出雲国風土記」の飯石郡飯石郷に「本の字は伊鼻志」とあり、同郷内に祭神伊志都弊命が降臨したことから、もと「いびし」といったと推測される。風土記には熊谷くまたに三屋みとや・飯石・多禰たね須佐すさ波多はた来島きじまの七郷を載せる。郡家は多禰郷にあり、現掛合町掛合に比定される。天平五年(七三三)時の飯石郡郡司は大領外正八位下勲一二等大私造、少領は外従八位上出雲臣弟山、主帳は無位日置首であった。少領出雲臣弟山は意宇おう山代やましろ郷の新造院を建造しており、同六年の出雲国計会帳(正倉院文書)に同五年九月二日のこととして「飯石郡少領外従八位上出雲臣弟山給伝馬参匹還却状」とみえる。同一八年三月七日には出雲臣弟山が出雲国造に任ぜられている(続日本紀)。大原郡家がある斐伊ひい(現大原郡木次町里方に比定)から斐伊川を渡り、熊谷・三屋・飯石の各郷を経て、多禰郷の飯石郡家に至り、来島郷を通り現在の赤名あかな峠を経て備後国三次郷への道があった。熊谷郷に熊谷軍団があり、前掲出雲国計会帳の天平六年七月二三日条に「衛士私部大嶋死去替事」に関する書類を熊谷軍団の百長大私部首足国に付して進上したことがみえる。

「延喜式」神名帳には飯石郡の小五座が記され、三屋神社(風土記では御門屋社、現三刀屋町の三屋神社に比定)、多倍神社(風土記では多倍社、現佐田町の多倍神社に比定)飯石神社(風土記では飯石社、現三刀屋町の飯石神社に比定)須佐神社(風土記では須佐社、現佐田町の須佐神社に比定)、川辺神社(風土記では河辺社、現木次町の河辺神社に比定)がある。「出雲国風土記」では、波多小川・飯石小川に「鉄あり」とみえ、砂鉄採取がうかがえる。仁寿元年(八五一)一二月一五日飯石郡の百姓に復(庸・調などの課役を免除すること)一年を賜い(文徳実録)、貞観六年(八六四)一〇月一日農産宜しからざるにより飯石郡の百姓に課役復二年を賜うとある(三代実録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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