出雲国分寺跡(読み)いずもこくぶんじあと

日本歴史地名大系 「出雲国分寺跡」の解説

出雲国分寺跡
いずもこくぶんじあと

[現在地名]松江市竹矢町 寺領

意宇川下流域につくられた意宇平野北東部の低丘陵南麓にある。奈良時代、聖武天皇の発願によって創建され、鎌倉時代頃まで存在した出雲国国分寺跡。遺構の保存は良好で、付属する古道とともに国指定史跡。「懐橘談」に「竹矢と云所に昔国分寺有とかたれり。今は礎石のみにて其かたちもなし」、「出雲国風土記鈔」に「竹屋村有国分寺之旧基」などと記される。地方史研究所が松江市教育委員会から委託を受け出雲・隠岐総合学術調査の一環として昭和三〇年(一九五五)・同三一年に調査を実施した。調査の結果、南門から真北方向に金堂講堂僧坊が並び、金堂と講堂の中間の東と西に鐘楼と経楼があるとされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「出雲国分寺跡」の解説

いずもこくぶんじあと【出雲国分寺跡】


島根県松江市竹矢町にある寺院跡。指定名称は「出雲国分寺跡 附古道(つけたりこどう)」。古代出雲の政治文化の中心であった意宇(いう)平野の北東部に位置する低丘陵にある。1955年(昭和30)からの調査やそれ以降の発掘調査で、東大寺式伽藍(がらん)が確認された。伽藍配置は南から南門、中門、金堂、講堂、僧房一直線に並び、中門から講堂につながるコの字形回廊があり、金堂、講堂、僧房の間はそれぞれ瓦敷きの道で結ばれる。塔は中門と南門の中間東側にあり、南門から南へは幅約6mの石敷きの道があった。出土品には、瓦や須恵器(すえき)、土師器(はじき)など奈良・平安時代のものが多い。墨書土器の中に「西寺」と記したものがあり、通称は西寺と呼んでいたようである。741年(天平13)、聖武天皇の勅願によって全国に建てられた国分寺の一つとして、1921年(大正10)に国の史跡に指定された。また、国分寺跡から南に延びる道は「天平古道」といわれる古代道で、意宇平野条里および国分寺の寺域画定に密接な関係をもつとして、1960年(昭和35)に追加指定された。国分寺跡は復元・整備され、出土品は八雲立つ風土記の丘展示学習館に保管・展示されている。JR山陰本線松江駅から市バス「武内神社前」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報