冬島村(読み)ふゆしまむら

日本歴史地名大系 「冬島村」の解説

冬島村
ふゆしまむら

明治一五年(一八八二)から同三九年までの村。明治一五年二月、それまでの冬島村が郡内くんない村・嘯牛うそふけうし村・小宵およい村を合併して成立。漁業を中心として発展し、昆布・鰈・鮭などがおもな漁獲物。農業適地は少なく、小川沿いや高丘の傾斜地で蔬菜の栽培が行われていた(状況報文)。同二二年様似簡易小学校の冬島分教場(同三三年冬島尋常小学校に昇格)開校、明治二四年には冬島―幌満ほろまん間の海岸道路が改修され、馬による交通が可能になった。同二六年には冬島稲荷社が創設された(以上「様似町史」)。この間の戸口などは、明治二〇年に二九戸・九一人(道戸口表)、同二四年には二二戸・一〇六人で、艀漁小廻船三五艘(徴発物件一覧表)、同二七年三一戸・一三〇人(道戸口表)

冬島村
ふゆしまむら

[現在地名]様似郡様似町字冬島・字大泉おおいずみ

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治一五年(一八八二)までの村。様似郡の南部、冬島川の流域に位置し、西は核蘂さねしべ村、東は郡内くんない(「改訂様似町史」、「様似村旧大字図」様似町史など)近世史料に「ブユガシユマ」(ブユガシュマ)とみえる地などからなる。「日高国地誌提要」に「冬島村」とあり、戸数(平民)・人数九(男六・女三)、ほかに寄留一人(平民男)

冬島村
ふじまむら

[現在地名]鯖江市冬島町

持明寺じみようじ村の南にあり、東は二町掛にちようがけ村。越知神社文書中に次のような年貢未進状がある。

<資料は省略されています>

しかし慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図正保郷帳には村名はみえない。元禄郷帳に二町掛村枝郷として村名がみえ、六四五・六四一石と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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