円蔵院(読み)えんぞういん

日本歴史地名大系 「円蔵院」の解説

円蔵院
えんぞういん

[現在地名]千倉町北朝夷 谷

川尻かわじり川左岸の丘陵先端に位置する。新福山と号し、本尊地蔵菩薩。真言宗智山派。文安三年(一四四六)開基と伝え、里見氏と関係の深かった寺院である。年未詳九月二一日の当院宛里見義頼書状(円蔵院文書)は、北条氏直から到来した酒を進上することを伝え、賞翫してもらえれば喜ばしいと述べている。年未詳九月日には「人勾引之事、付女山林之儀」の一条を含む禁制(同文書)が義頼から出され、天正一六年(一五八八)一二月一三日付で里見義康もほぼ同文の禁制(同文書)を出している。

円蔵院
えんぞういん

[現在地名]南部町南部

富士川と船山ふなやま川との合流点の西に位置する。「甲斐国志」では古城山と号し、慶応四年(一八六八)当寺が提出した由緒書(寺記)によると南部山と号する。臨済宗妙心寺派。本尊観音菩薩。「甲斐国志」によると、天文年間(一五三二―五五)穴山伊豆守信友が桂岩徳芳を開山として迎え、自らの牌所として建立。桂岩は長禅ちようぜん(現甲府市)中興開山岐秀元伯の弟子にあたり、信友・信君父子の帰依を受け、信君の遺子勝千代信治が亡くなるとその画像(富沢町最恩寺蔵、県指定文化財)に賛を著している(寺記)。同二四年九月五日に当寺山林の境界について定めた穴山信友判物(円蔵院文書)があり、この文書には桂岩の前の号である茂林和尚宛になっていることから、この頃から諸堂の造営が開始されたと思われる。

円蔵院
えんぞういん

[現在地名]佐賀市中の館町

佐賀城跡の南に位置する。福厳山と号し曹洞宗。本尊は聖観世音菩薩。竜造寺家兼(剛忠)によって天文一四年(一五四五)建立されたもので、同年正月馬場頼兼らにより川上かわかみ祇園原ぎおんばる(現神埼郡神埼町)で討たれた子の家純、孫の周家・澄家・頼純、そして天文七年に病死した家純の次男宝琳ほうりん院の住職であった豪覚などの供養のためであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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