八雲村(読み)やくもむら

日本歴史地名大系 「八雲村」の解説

八雲村
やくもむら

[現在地名]山越やまこし郡八雲町元町もとまち本町ほんちよう東町ひがしまち富士見町ふじみちよう豊河町とよかわちよう東雲町しののめちよう内浦町うちうらちよう住初町すみぞめちよう末広町すえひろちよう相生町あいおいちよう栄町さかえちよう宮園町みやぞのちよう出雲町いずもちよう三杉町みすぎちよう緑町みどりちよう黒岩くろいわ山崎やまざき花浦はなうら立岩たていわ富咲とみさき上八雲かみやくも鉛川なまりかわ春日かすが大新おおしん

明治一四年(一八八一)から同三五年までの村。成立時は胆振国山越郡のうちで、北は長万部おしやまんべ(現長万部町)、南は山越内やまこしない村、東は内浦湾に面する。西は太櫓ふとろ(一〇五三・四メートル)・ペンケ岳(八五五・六メートル)岩子いわこ(八〇一・六メートル)雄鉾おぼこ(九九九・三メートル)などの山岳地帯。

八雲村
やくもむら

面積:五六・〇〇平方キロ

松江市によって分断された八束郡の南部にあり、北から北西にかけては松江市、西は大原郡大東だいとう町、南は能義のぎ広瀬ひろせ町、東は東出雲町。北部と村の中央部を北流する意宇いう川沿いを除いては山がちで、西の松江市との境にそら(四一〇・七メートル)、大東町との境に八雲山(四二四・一メートル)、広瀬町との境に天狗てんぐ(六一〇・四メートル)、東出雲町との境に星上ほしかみ(四五三・七メートル)があり、村内北部に要害ようがい(二八〇・六メートル)、南部にむろ(二六〇・九メートル)雨乞あまごい(一五五・二メートル)などがある。おもな交通路は国道四三二号、県道大東―東出雲線。

八雲村
やくもむら

明治三五年(一九〇二)四月八雲村と山越内やまこしない村が合併して二級町村制を施行して成立。旧村名を継承した二大字を編成。翌三六年の戸数一千三二四・人口六千七八九(「町村別戸口表」市立函館図書館蔵)。明治末期から大正初期にかけて団体入植もみられるようになり、埼玉・岩手・福島・福井・静岡・石川などの各県から鉛川なまりかわ、上八雲、トワルベツ、サックル、セイヨウベツなどの各地区に入った。酪農・畑作の生産が進み、とくに馬鈴薯の栽培が当地方の適作物であることが確認され、作付面積は飛躍的に増加して同三九年には三千二〇〇町歩に達した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報