僧旻(読み)ソウビン

デジタル大辞泉 「僧旻」の意味・読み・例文・類語

そう‐びん【僧旻】

みん

そう‐みん【僧旻】

みん

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精選版 日本国語大辞典 「僧旻」の意味・読み・例文・類語

そう‐びん【僧旻】

(「そうみん」とも) 飛鳥・白鳳時代の学僧新漢人旻(いまきのあやひとみん)とも記す。推古天皇一六年(六〇八小野妹子に従って中国に渡り、舒明天皇四年(六三二帰国大化元年(六四五国博士となり、さらに十師の一人に推されて仏教界の指導的地位に立ち、同五年高向玄理とともに八省百官の制を定めるなど、大化の改新にも参画した。白雉四年(六五三)没。

そう‐みん【僧旻】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「僧旻」の意味・わかりやすい解説

僧旻
そうびん
Seng-min

[生]?
[没]大通1(527).2.
中国,梁の僧。梁の三大法師の一人。7歳で虎丘西山寺に入って出家し,のちに荘厳寺に移って三蔵をきわめ尽す。梁の武帝帰依を得て,願によって『勝鬘経』を講義した。 61歳で寂。主著『論疏雑集』『四声指帰』など。

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改訂新版 世界大百科事典 「僧旻」の意味・わかりやすい解説

僧旻 (そうみん)

新漢人旻(いまきのあやひとみん)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「僧旻」の解説

僧旻 そうみん

旻(みん)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「僧旻」の解説

僧旻
そうみん

旻(みん)

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世界大百科事典(旧版)内の僧旻の言及

【新漢人旻】より

…608年(推古16)隋使裴世清の帰国のさい派遣された小野妹子に同行し,高向玄理(たかむくのくろまろ)・南淵請安(みなぶちのしようあん)らとともに渡隋。《日本書紀》で新漢人日文(にちもん)とあるが,帰国した632年(舒明4)以降はすべて僧旻と記す。仏教,天文に通じ,中臣鎌子,蘇我入鹿など貴族の子弟を集めて周易を講じたことが《大織冠伝》にみえる。…

【唐】より

…この進言は,630年(舒明2)の第1次遣唐使として実現し,これ以後9世紀半ばまでに十数回の遣唐使が派遣されることになる。また第1次遣唐使帰国の際には,二十数年間中国に滞在していた僧旻(みん)(新漢人旻(いまきのあやひとみん))ら留学生もいっしょに帰り,さらに10年後には,留学生の南淵請安(みなぶちのしようあん),高向玄理(たかむくのくろまろ)らも唐から帰国した。彼らは,隋が滅び唐の国家が形成される経過を目のあたりに見てきたと推測されるが,彼らの知識と体験は,大化改新の際に重要な役割を果たした。…

【留学】より

…これ以後,古代の留学生はすべて男性と推定される。 7世紀初めに久しく中絶していた中国王朝との外交が再開されると,608年(推古16)遣隋使小野妹子に従って,高向玄理(たかむくのくろまろ),僧旻(新漢人旻(いまきのあやひとみん)),南淵請安(みなぶちのしようあん)ら8人の学生・学問僧が隋に渡った。彼らは,二十数年から三十数年の長期間にわたって中国に滞在し,隋が滅び,唐が興ってくる中国の社会を実見して帰国し,大化改新に始まる律令国家の建設に大きな役割を果たした。…

※「僧旻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」