大通(読み)だいつう

精選版 日本国語大辞典 「大通」の意味・読み・例文・類語

だい‐つう【大通】

〘名〙
① 物にこだわらないこと。また、その人。〔文明本節用集(室町中)〕 〔荘子‐大宗師〕
② 遊里の事情や遊興の道によく通じていること。また、その人。ほんとうの通(つう)。明和年間(一七六四‐七二)に江戸に起こった語で、安永年間(一七七二‐八一)に大いに流行し、それが西にひろがり、寛政一七八九‐一八〇一)から文化・文政(一八〇四‐三〇)にかけて上方でも流行語となった。
洒落本・無頼通説法(1779)「当世大通(ダイツウ)当世大通と名乗て、まぎらわしき邪宗大通、せけん一とふに流行いたして、凡夫の輩まよはされます」

おお‐どおり おほどほり【大通】

〘名〙 町なかの幅の広い道路。本通り。
※洒落本・大通愛想尽(1779)「大通とは江府日本橋をまん中として、大通りといふ事なり」
※女難(1903)〈国木田独歩〉五「長屋の者は大通(オホドホ)りに住む方とは違ひまして」

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デジタル大辞泉 「大通」の意味・読み・例文・類語

だい‐つう【大通】

遊里・遊芸などの方面の事情によく通じていること。また、その人。

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日本歴史地名大系 「大通」の解説


おおつちどおり

盛岡藩地方行政区域の名称。管轄区域は閉伊郡の南部沿岸と小国おぐに川上流地帯を占め、東は海、西は遠野南部氏知行地および一部大迫おおはさま通、南は仙台藩領、北は宮古通に接する。年代により若干の増減があるが、「邦内郷村志」によると、甲子かつし村・平田へいた村・釜石村・両石りよういし村・箱崎はこざき村・鵜住居うのすまい村・片岸かたぎし村・栗林くりばやし村・橋野はしの(現釜石市)小槌こづち村・大槌村・吉里吉里きりきり村・金沢かねざわ(現上閉伊郡大槌町)船越ふなこし村・織笠おりかさ村・轟木とどろき村・飯岡いいおか村・上山田かみやまだ村・下山田村大沢おおさわ(現下閉伊郡山田町)小国村・江繋えつなぎ村・泉沢いずみざわ(現同郡川井村)の二三村が含まれ、合計高三千三四九石余、うち給地一千二三四石余。代官所は小槌村に置かれた。これらの地域は江戸時代初期には閉伊郡のうち南閉伊に属したが、寛文四年(一六六四)盛岡藩四代藩主南部重信の弟直房に二万石(八戸藩)が分知されて以降、盛岡藩の三三通制実施にあたり成立したものと思われる。

大通
おおどおり

昭和一二年(一九三七)成立した字。旧大通一―三〇丁目・帯広・ヲベリベリ。成立当時は北一―二丁目・南一―三〇丁目からなる。明治二六年(一八九三)帯広市街が区画測設された際、東西を条、南北を丁目に区分する基点となった石狩通との交点が北二丁目と南一丁目にある。東条と西条を分ける南北の通り。この通り(現国道二三六号)は当初広尾ひろお通とも称された。同二七年北海道集治監釧路分監帯広外役所の囚徒により基点から大通一一丁目までに幅一〇間の道路が開削され、この道は俗に監獄かんごく道路ともいわれた(帯広市史)

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普及版 字通 「大通」の読み・字形・画数・意味

【大通】たいつう

大道。〔荘子、大宗師〕何をか坐と謂ふ。顏回曰く、肢體を墮(やぶ)り、を黜(しりぞ)け、形を離れ知を去り、大に同ず。此れを坐と謂ふ。

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世界大百科事典(旧版)内の大通の言及

【通】より

…〈通り者〉には〈気の通った人〉(粋人)の意と〈顔(名前)の通った人〉(顔役)という二義があり,宝暦(1751‐64)ころは後者の意味が強かった。そこから〈大通(だいつう)〉の語も生じ,明和・安永と盛んに〈大通〉賛美が行われたのち,反省期を迎え,天明期に入って〈大通〉のイメージの中にあった豪気さ,放胆さが消え,多分に常識的,小市民的な〈通〉の理念が生じた。一方で,己ひとり通人なりと誇らしげな人物を指す〈半可通(はんかつう)〉(野暮(やぼ))という語も生まれる。…

※「大通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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