俊恵(読み)シュンエ

デジタル大辞泉 「俊恵」の意味・読み・例文・類語

しゅんえ〔シユンヱ〕【俊恵】

[1113~?]平安末期の歌人東大寺の僧。源俊頼の子。通称大夫公たゆうのきみ。白川の自坊歌林苑で歌会・歌合わせを主催。鴨長明に歌を教えた。家集に「林葉和歌集」がある。

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精選版 日本国語大辞典 「俊恵」の意味・読み・例文・類語

しゅんえ シュンヱ【俊恵】

平安末期の歌人。源俊頼の子で若くして出家した。自坊を歌林苑と名付けて歌人達のサロンとし、藤原清輔藤原教長源頼政賀茂重保・登蓮法師・讚岐など当時の有力歌人が参集した。「詞花集」以下の勅撰集に多くの歌が入集し、家集に「林葉和歌集」がある。永久元~養和二年(一一一三‐八二)頃。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「俊恵」の意味・わかりやすい解説

俊恵
しゅんえ

[生]永久1(1113)
[没]?
平安時代後期の歌人。「すんえ」とも読む。通称,大夫公。源俊頼の子で,父に和歌を学んだが,17歳で死別し,この頃,東大寺に入ったらしい。永暦1 (1160) 年以後多くの歌合に出席。その白河僧坊を歌林苑と称し,廷臣神官僧侶女房など広範囲にわたる会衆を集め,月次,臨時の歌会を開催,『歌苑抄』などの私撰集を編むなどの活動をした。歌林苑の会衆は,六条家から御子左家への交代期にあった歌壇に一大勢力をなした地下 (じげ) の歌人集団で,俊恵はその中心人物であった。「五尺のあやめに水をかけたるやうに歌はよむべし」 (『後鳥羽院御口伝』) というその言葉に示されるように,俊恵は余情に富んだ平明の美を理想とし,実際の歌風もそれを裏づけるものであった。『詞花和歌集』以下に入集。没年の頃に興った新古今風の盛行により,旧派とみられたが,一面では新古今風に影響を与え,また『新古今集』以後の歌壇に迎えられ影響を及ぼした。家集『林葉和歌集』 (自撰,78) は最晩年の作は欠くが,全集的なものである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「俊恵」の意味・わかりやすい解説

俊恵
しゅんえ
(1113―?)

平安後期の歌人。没年は不明だが、1182年(寿永1)には生存。大夫公(たゆうのきみ)とよばれた。歌人源俊頼(としより)の子。幼少時に東大寺に入り僧となる。1151年(仁平1)ごろ成立の『詞花集』に1首入集し、すでに歌人としての名があった。60年(永暦1)清輔朝臣(きよすけあそん)家歌合に加わり、この後多くの歌合に出詠、歌壇で活躍した。その白川の僧房を歌林苑(かりんえん)と名づけ、歌会や歌合をしばしば催し、源頼政(よりまさ)以下多くの会衆が参じ、このグループは平安末期歌壇で大きな存在となった。鴨長明(かものちょうめい)も俊恵門である。また『歌苑抄』『歌林抄』などの撰集(せんしゅう)(散逸)も生み出された。家集に『林葉和歌集』(1178、79年ごろ自撰か。約1000首所収)がある。静寂美をたたえた穏やかな歌風である。

[井上宗雄]

 夜もすがら物思ふころはあけやらで閨(ねや)のひまさへつれなかりけり

『簗瀬一雄著『俊恵研究』(1977・加藤中道館)』


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改訂新版 世界大百科事典 「俊恵」の意味・わかりやすい解説

俊恵 (しゅんえ)
生没年:1113(永久1)-?

平安末期の歌人。没したのは1191年(建久2)1月以前か。源俊頼の子。母は橘敦隆女。通称は大夫公。若いころ東大寺の僧となった。歌合への出席は1160年(永暦1)清輔朝臣家歌合を初めとし,79年の右大臣兼実歌合に至る。白川の彼の僧坊を歌林苑と称し,源頼政,二条院讃岐ら多くの歌人が参集,平安末期歌壇で一大グループを形成した。《歌苑抄》等多くの私撰集が編まれた。鴨長明はその門。家集に《林葉和歌集》がある。流麗な声調を重んじ,穏やかな歌風である。〈夜もすがらもの思ふころは明けやらぬねやのひまさへつれなかりけり〉(《千載集》)。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「俊恵」の解説

俊恵 しゅんえ

1113-? 平安時代後期の僧,歌人。
永久元年生まれ。源俊頼(としより)の子。待賢門院新少将の兄。東大寺の僧。京都白川の僧房を歌林苑と名づけ,身分にとらわれない自由な歌会を主宰。「詞花和歌集」以下の勅撰(ちょくせん)集に84首のる。家集に「林葉和歌集」。歌論は弟子の鴨長明(かもの-ちょうめい)「無名抄」にくわしい。通称は大夫公(たゆうぎみ)。法名は「すんえ」ともよむ。
【格言など】夜もすがら物思ふころは明けやらで閨(ねや)のひまさへつれなかりけり(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典 「俊恵」の解説

俊恵

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:永久1(1113)
平安末期の歌人。源俊頼と藤原敦隆の娘の子。『詞花和歌集』以下の勅撰集に,84首が入集しており,家集に『林葉和歌集』がある。白河にあった彼の僧坊は歌林苑と呼ばれ,藤原清輔,寂蓮,源頼政,道因,二条院讃岐など,数多くの歌人の集まるサロンとなっていた。弟子の鴨長明の歌論書『無名抄』には俊恵の発言が多く引用され,その和歌観を窺わせている。穏やかで余情深い表現を目指し,特に歌の風体に意識的で,藤原俊成やのちの歌人にも強い影響を与えた。<参考文献>簗瀬一雄『俊恵研究』

(渡部泰明)

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