歌林苑(読み)かりんえん

百科事典マイペディア 「歌林苑」の意味・わかりやすい解説

歌林苑【かりんえん】

六条源家の俊恵(しゅんえ)〔1113-?〕が自らの白川僧坊に開いた歌会グループの称。民間の〈和歌所〉として〈和歌政所〉と呼ばれたこともあった。1156年ころから約20年間にわたり,源頼政藤原隆信賀茂重保鴨長明二条院讃岐,富門院大輔などが集った。会の中心は地下(じげ)の僧俗にあったらしい。毎月例会の歌会を開くほか,会衆送別の会や〈人麻呂影供〉など臨時の歌会もしばしば持たれた。
→関連項目無名抄

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世界大百科事典(旧版)内の歌林苑の言及

【殷富門院大輔】より

…殷富門院亮子(すけこ)内親王(後白河院第1皇女)の女房。歌林苑の有力な一員で,当時から有名な歌人であった。住吉社歌合(1170)以下多くの歌合に参加し,みずから歌合を催している。…

【俊恵】より

…歌合への出席は1160年(永暦1)清輔朝臣家歌合を初めとし,79年の右大臣兼実歌合に至る。白川の彼の僧坊を歌林苑と称し,源頼政,二条院讃岐ら多くの歌人が参集,平安末期歌壇で一大グループを形成した。《歌苑抄》等多くの私撰集が編まれた。…

※「歌林苑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」