侯外廬(読み)こうがいろ(英語表記)Hóu Wài lú

改訂新版 世界大百科事典 「侯外廬」の意味・わかりやすい解説

侯外廬 (こうがいろ)
Hóu Wài lú
生没年:1903-87

現代中国の歴史学者,馮友蘭と並ぶ思想史家。山西省介休県の人。北京師範大学卒。李大釗(りたいしよう)の影響マルクス主義に傾倒し,1927-30年パリ留学中国共産党に入る。帰国後,北京の大学で教鞭をとり,王思華と《資本論》を中国で最初に翻訳出版。30年代後半は太原,重慶などで中国思想史研究に従事した。新中国成立後,西北大学学長などの要職につき,唯物論と唯心論の対立抗争を重視する《中国思想通史》全6巻を上梓,内外の注目をあつめた。文化大革命で迫害をうけたが中国社会科学院歴史研究所副所長として復帰した。近著に《中国近代哲学史》《中国封建社会史論》などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「侯外廬」の意味・わかりやすい解説

侯外廬
こうがいろ
Hou Wai-lu

[生]光緒29(1903).山西
[没]1987.9.14. 北京
中国の歴史学者。中国社会科学院歴史研究所名誉所長。中国政治協商会議常務委員。パリに留学し,帰国後ハルビン (哈爾浜) で教職につき,のち 20代後半で早くも北京大学に迎えられ,王思華と『資本論』を共訳。西北大学校長にもなり,1963年には中国学術代表団員として来日。 67年に反社会主義分子と断定され迫害されたが,復帰。主著に,共同編集した『中国思想通史』 (6巻,1957~60) ,ほかに『中国封建社会史論』『中国近代哲学史』『中国思想史綱』などがある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「侯外廬」の解説

侯外廬(こうがいろ)
Hou Wailu

1903~87

中国現代の歴史学者。山西省平遥の人。1927年,フランスに留学。帰国後,中国古代史,思想史の研究に従事した。中華人民共和国成立後,北京師範大学歴史系主任,西北大学長,中国社会科学院歴史研究所名誉所長などを歴任した。マルクス主義立場から奴隷制封建制のアジア的形態解明に努力した。

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百科事典マイペディア 「侯外廬」の意味・わかりやすい解説

侯外廬【こうがいろ】

現代中国の歴史学者,思想史家。山西省介休県生れ。北京師範大学卒。マルクス主義者李大【しょう】(りたいしょう)の影響を受け,中国共産党に入る。《資本論》を中国で最初に翻訳出版。中華人民共和国成立後,西北大学学長などの要職につき,唯物史観にもとづく《中国思想通史》(全6巻)を出版。

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