佐藤業連(読み)さとう・なりつら

朝日日本歴史人物事典 「佐藤業連」の解説

佐藤業連

生年生没年不詳
鎌倉中・後期の幕府評定衆。佐藤民部次郎ともいう。父は業時。弘長1(1261)年引付会議の奉行人となり,文永2(1265)年に評定会議の執筆役として加わる。建治2(1276)年引付衆を経ずして,評定衆に就任した。当時は中務丞。また執権北条時宗が主宰した寄合に御内人平頼綱らと共にたびたび加わっており,時宗の信頼が厚い人物であった。弘安3(1280)年民部少丞,さらに同年中に民部大丞に任ぜられている。同6年叙爵し,加賀権守となる。この間北条得宗家の右筆役も勤めている。また同7年には奉行として高野山僧衆の訴訟を担当した。<参考文献>『建治三年記』(『群書類従』23輯武家)

(佐々木文昭)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤業連」の解説

佐藤業連 さとう-なりつら

?-? 鎌倉時代武士
弘長(こうちょう)元年(1261)引付衆にくわえられ,建治(けんじ)2年評定衆になり書記役をつとめた。通称は民部次郎。

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