伊福村(読み)いふくむら

日本歴史地名大系 「伊福村」の解説

伊福村
いふくむら

[現在地名]日高町鶴岡つるおか

日置ひおき村の北、円山まるやま川沿いから南東に広がる村で、南端は須留岐するぎ(四四九・六メートル)の尾根を挟んで養父やぶ出石いずしの二郡と接する。地名はユウ(イウ)とよび習わされ、「但州湯嶋道中独案内」に「いふ」の振仮名が付されている(明治一八年の内務省地理局編纂「地名索引」ではイフク)

保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に山城石清水いわしみず八幡宮の但馬国八別宮の一として「伊福別宮」がみえ、弘安八年(一二八五)の但馬国太田文にも「伊福別宮 五町六反二百六十歩」とあり、「八幡領」「地頭青鳥兵衛入道親仏」と注記される。伊福別宮は引続き石清水八幡宮の別宮(末社)で、社田も石清水八幡宮の支配下にあった。地頭青鳥氏は関東の御家人で、太田文では伊福別宮の次に記される「春日社 四丁九反六十分」の地頭を兼ねるが、事績は未詳。なお伊福別宮、春日社(比定地未詳)の「両所共、不出注文之間、任古帳註進之」と記され、ともに内訳記載はない。

伊福村
いふくむら

[現在地名]瑞穂町伊福

西郷さいごう村の西に位置し、北部は海に臨む。北西部の高田たかたには古代の条里遺構が確認され、数詞坪地名も残される。中世より地名がみえ、高田の京の坪きようのつぼ遺跡では土師器・須恵器類、また中世の陶器や製鉄炉跡などが発見されている。高田に有馬氏家臣の草野浄仙が居城したという高田城の跡が残り、石垣を伴う平場などを遺構とし、崖下は城下しろしたと称される。鎌倉期に伊福氏の築城、天正年間(一五七三―九二)に有馬氏家臣の草野氏の在城を伝える。史料上に伊福城がみえる。江戸時代は島原藩領の北目筋に属する。慶長国絵図に「伊福」とみえ、高七〇〇石余。正保二年(一六四五)の高来郡内高力氏領分図では伊福村として高五七五石余、伊福村内として大川おおかわ村二一八石余・高田村三五七石余が記される。寛文四年(一六六四)の高力高長領知目録(寛文朱印留)でも村名がみえる。

伊福村
いふくむら

[現在地名]太良町大字多良たら字伊福

有明海沿いにあり、現太良町の最北、現鹿島市と接する。慶長絵図に「伊福」とある。嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳には「地米三百石八斗六升一合」とある。藩政時代は飯田いいだ(現鹿島市大字飯田)とともに川久保(神代くましろ氏)領。

村の丘陵地の東端に手力雄命を祀る戸口とぐち神社がある。大同元年(八〇六)の創立と伝え、伊福(現長崎県南高来郡瑞穂町)から奉斎したものだという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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