今良(読み)コンリョウ

デジタル大辞泉 「今良」の意味・読み・例文・類語

こん‐りょう〔‐リヤウ〕【今良】

律令制で、賤民から良民となった者。主殿寮とのもりょうに属し、皇居掃除などの雑役に従事した。こんら。ごんろう。

ごん‐ろう〔‐ラウ〕【良】

こんりょう(今良)

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精選版 日本国語大辞典 「今良」の意味・読み・例文・類語

ごん‐ろう ‥ラウ【今良】

〘名〙 令制で、官戸、官奴牌など官有の賤民が解放されて、新たに良民とされた者。名籍主殿寮にあり、諸宮司に配分されて、水汲み、掃除などの雑役に従事し、衣糧を官給される。
※続日本紀‐天平宝字五年(761)八月己卯「以今良三百六十六人。編附左右京。大和。山背。伊勢。参河。下総等職国
[補注]「今良」のよみ方は未詳。他に「いままいり」「いまよし」「いまろう」「いまおおみたから」「こんら」「ごんりょう」等と試みられているが一定しない。

ごん‐りょう ‥リャウ【今良】

〘名〙 =ごんろう(今良)〔書言字考節用集(1717)〕

ごん‐ら【今良】

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改訂新版 世界大百科事典 「今良」の意味・わかりやすい解説

今良 (ごんろう)

日本古代の身分の一つ。日本古代の官有賤民である官奴婢公奴婢。官有賤民は,陵戸を別にすれば,官奴婢が中心で官戸は少数であった)は8世紀半ば以降,集団的に解放(放賤従良)されて良民とされていった。しかし,解放後も今良という新しい隷属身分を与えられ,大部分は引き続き官奴婢と同様に内裏後宮中務・宮内省系諸官司での火炬・水汲・担夫などの労役に従事させられた。今良とは新たに良民になったものという意味である。758年(天平宝字2)7月に光明皇太后の病気平癒のために官奴婢と紫微中台(皇后宮職の後身)奴婢が大量に解放されたが,その中の1人が760年7月の〈奉写一切経所召文〉に坤宮官(紫微中台の改称)今良上嶋津として見えるのが今良の初見である。官奴婢を今良としたのは,良民とすることで官奴婢の逃亡等の抵抗を弱めるとともに,新たな今良という隷属身分への拘束により従来からの隷属関係と労働力を維持し,また家族的結合をもとにして労働力の再生産をはかることにあった。808年(大同3)の官司統廃合の際に官奴司は主殿寮に併合され,以後は主殿寮が今良を管理することになった。9世紀以後,今良の官司別・労働種目別の定額化が進み,《延喜式》では主殿寮に367人(男141,女226),斎宮寮に8人,斎院司に2人,皇后宮に15人,縫殿寮に24人(男2,女22),織部司に30人(男10,女20)配属されている。今良は12世紀の史料にもみえる。訓は〈いまよし〉〈ごんりょう〉など諸説あり未詳だが,呉音では〈ごんろう〉となる。
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世界大百科事典(旧版)内の今良の言及

【賤民】より

奴婢は奴隷的存在形態自体により卑賤視されたのであるが,官有賤民の場合には罪の穢に対する卑賤観も働いていたと考えられる。8世紀半ばの官有賤民の今良(ごんろう)身分への解放を端緒として,789年(延暦8)には良賤間の所生子を良民とすることに改めてから,陵戸以外の官私賤民は激減し,律令賤民制は解体していったが,卑賤観念や穢の観念により人間を差別し賤民身分とすることは,平安中期以降の新たな賤民制の出発点となったのである。奴隷被差別部落【石上 英一】。…

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