今尾村(読み)いまおむら

日本歴史地名大系 「今尾村」の解説

今尾村
いまおむら

[現在地名]平田町今尾・四ッ谷よつや

揖斐いび川左岸、現町域西部に位置する。村の北西長良川より分流した大榑おおぐれ川が揖斐川に合流する。濃州三湊につぐ揖斐川筋の主要な船着場の一であり、戦国期末より町場化されていた。元和八年(一六二二)には尾張藩付家老の竹腰氏が居館を置くが、同居館は天正期(一五七三―九二)にみえる今尾城の跡と伝える。宝生ほうじよう(現名古屋市中区)蔵の高野山秘記奥書に「郡戸荘内今尾福林寺」とあり、ここで康永四年(一三四五)一〇月一一日書写を終えたと記される。郡戸こおるど庄の庄域はつまびらかでないが、今尾も同庄内であったとみられる。「天文日記」には当地西願さいがん寺とみられる寺号が天文五年(一五三六)二月二日条をはじめ、同七年・八年・一一年・一八年などにみえる。天正八年一〇月日の織田信忠判物(市田靖氏所蔵文書)に「今尾町市儀、如前々可相立」とあり、従前からの町市立てを安堵されている。同一二年三月二八日の織田信雄書状(吉村文書)には当地とみられる町を吉村氏吉が焼いたという記事がある。

天正一五年今尾城に市橋長勝が入り、のち二万石を領したが、慶長一三年(一六〇八)移封慶長郷帳に村名がみえ、高九六七石。元和二年の村高領知改帳には高八二九石余とあり、幕府領。同五年竹腰正信領となり、同八年尾張藩付家老となった同氏は当地に居館を置き、三万石を領した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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