久田宗利(読み)ひさだ・そうり

朝日日本歴史人物事典 「久田宗利」の解説

久田宗利

没年貞享2.11.7(1685.12.2)
生年:慶長16(1611)
江戸時代前期の茶人一説に元和1(1615)生まれ。もとの姓は本間。名は利兵衛。受得斎と号した。千宗旦の娘クレを妻とし,表千家を補佐する久田家の2代となる(初代は宗栄)。義父宗旦と金閣寺住持鳳林承章の茶に招かれるなど,茶の湯者としても認められた人物であった。弟に宗旦四天王のひとりとされる茶人藤村庸軒がおり,また次男源三郎が千宗左(4代)の養子(5代,随流斎)となっている。

(熊倉功夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久田宗利」の解説

久田宗利 ひさだ-そうり

1611-1685 江戸時代前期の茶人。
慶長16年生まれ。久田宗栄の子。藤村庸軒の兄。5代千宗左の父。千宗旦(そうたん)の門下で,その娘を妻とした。久田家2代。貞享(じょうきょう)2年11月7日死去。75歳。本姓は本間。名は利兵衛。号は受得斎。

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