中野町(読み)なかのまち

日本歴史地名大系 「中野町」の解説

中野町
なかのまち

[現在地名]富山市太田口通りおおたぐちどおり二丁目

太田口町の南、飛騨街道に沿って南北に延びる両側町で、南は中野新なかのしん町。本町のうち。前田利次による町割当初からの町。富山城下の南端として重要な地点は、古くは太田口であったが、町並が南へ延び、やがて中野村の一部が町に組入れられて当町が成立し、さらに南に延びて中野新町ができた。安永八年(一七七九)の本家数二五・貸家数三一で、二丁目まであった(「町方旧記抜書」前田家文書)。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理では竈数五二、男一〇四・女一〇九。

中野町
なかのまち

[現在地名]金沢市城南じようなん二丁目

角場川岸かくばかわぎし町の南西から南に並行し、南西は犀川川縁に臨む。もとは犀川の河原。文政六年(一八二三)に立町された地子町で、それまでも俗称として中野町とよばれていた(町奉行より出候町名)。天保七年(一八三六)の金府町名(加越能文庫)川上中野かわかみなかの町とあり、安政(一八五四―六〇)頃の金沢町絵図(県立歴史博物館蔵)には中町とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報