中沢基員(読み)なかざわ・もとかず

朝日日本歴史人物事典 「中沢基員」の解説

中沢基員

生年生没年不詳
鎌倉後期の地頭。武蔵国の御家人中沢氏は承久の乱後,東寺領丹波国大山荘(兵庫県丹南町)の地頭職を獲得,本拠を大山荘に移す。基員は文永弘安年間(1264~88)ごろに大山荘地頭として,強固な荘園支配を打ち立てた。勢力拡張の過程で隣荘近衛家領宮田荘(西紀町)代官西善主従の殺害事件を起こし訴訟となるが,在京人や六波羅奉行人との所縁を利用して和与を進めるなど,訴訟を切り抜ける。大山荘は地頭請所になっていたが,基員が年貢対捍(拒否)したため,東寺より下地中分の要求が出され,永仁3(1295)年には地頭が圧倒的に優位の中分が実施された。<参考文献>宮川満編『大山村史』

(水野章二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中沢基員」の解説

中沢基員 なかざわ-もとかず

?-? 鎌倉時代武士
東寺領丹波(たんば)多紀郡大山荘(兵庫県篠山市)の地頭。文永-弘安(こうあん)のころ勢力を拡大し,建治(けんじ)2年(1276)には隣の近衛領宮田荘代官を殺害しうったえられた。また年貢を滞納し,下地中分(したじちゅうぶん)により大山荘の3分の2を支配するにいたった。通称は三郎左衛門尉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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