中居町(読み)なかいまち

日本歴史地名大系 「中居町」の解説

中居町
なかいまち

[現在地名]穴水町中居・瑞鳳ずいほう

七尾北湾に面した中居入江に沿い、南の中居南町とともに村扱いだが町と通称された。北はかじ村。中居下出なかいしもで内浦街道から分れ、山越え輪島への道筋がある。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北なんぼくのうち中井北で棟役を負担する役屋は九二間とある。戦国後期頃には中井北方は三宅彦四郎の知行分であった(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)。永禄四年(一五六一)三月「中居北 釜屋御大工中」が、正親町天皇即位の祝儀を進納している(「祝儀請取状」中居鋳物師伝書)。天正八年(一五八〇)六月二七日、長連竜が味方に参じた河野土佐守に中井北方などの替地を宛行っている(「長連竜書状写」長文書)。同一〇年当村の十兵衛(北村氏)に七尾築城の鋳物を督促している(「前田利家書状」中居鋳物師伝書)。同年一〇月一〇日、前田利家が中居鋳物師の三右衛門(真清田氏)に、中井北方のうちの二〇俵を扶持として与えている(「前田利家印判状写」同書)

中居町
なかいちよう

下京区烏丸通七条西入一筋目上ル

南北に通る烏丸からすま通七条西入一筋目を挟む両側町。北半分は東本願寺境内。平安京の条坊では、左京七条三坊三保一二町南側の地。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には烏丸七条西入一筋目の道路(北は本願寺境内で行きどまり)が描かれていないので、町の形成は寛永末年から承応初年までと思われる。寛文一二年(一六七二)洛中洛外大図では、現中居町・新シ町の二町一帯に「御家来衆」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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