並柳村(読み)なみやなぎむら

日本歴史地名大系 「並柳村」の解説

並柳村
なみやなぎむら

[現在地名]湯布院町川上かわかみ 並柳・佐土原さどわら

温湯ぬるゆ村の西、大分川の源流の一つである白滝しらたき川が福万ふくま山の北方から南東に流れ、湯布院盆地に注ぐ辺りにある。北西若杉山石原わかすぎやまいしばる村があり、南は乙丸おとまる村、南西荒木あらき村。貞治三年(一三六四)二月日の大友氏時所領所職等注進状案(大友文書)由布院の酒久里ゆふいんのしゆくり塚原つかわらなどとともに「並柳」がみえ、永徳三年(一三八三)七月一八日の大友親世所領所職等注進状案(同文書)にもみえる。大友惣領家の所領であった。慶長五年(一六〇〇)二月の速見郡由布院知行方目録写(北九州市立歴史博物館蔵)に村名がみえ、高一千二三四石余。同一六年の家数五四・人数一二一(うち惣庄屋一、庄屋・肝煎二、本百姓九・新百姓二、名子・下人三三)、牛一九・馬一二(小倉藩慶長人畜改帳)、元和八年(一六二二)の高は三〇一石余、家数二三・人数一四八(うち本百姓・小百姓一四、名子二四)、牛一八・馬八(小倉藩元和人畜改帳)。なお当村在住の惣庄屋甚左衛門尉捌(手永)の分として、当村のほか塚原村・石武いしたけ村・光永みつなが村・前徳野まえどくの村の四村があった(慶長人畜改帳)

並柳村
なみやなぎむら

[現在地名]松本市並柳

松本藩領出川いでがわ組の一村中山なかやま丘陵の北の突端部と和泉いずみ川・川とに囲まれた小村で、北と西は出川町いでがわまち村に接している。中山丘陵の北の突端には弘法山こうぼうやま古墳があり、その南の鞍部に中山丘陵の東埴原ひがしはいばら谷から出川町に至る並柳峠がある。諏訪社上社の五月会頭役などの結番を定めた嘉暦四年(一三二九)三月の鎌倉幕府下知状案(守矢文書)に、六番五月会分として「流鏑馬、赤木郷赤木太郎入道跡、草深・並柳両郷地頭等」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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