不動堂(読み)ふどうどう

日本歴史地名大系 「不動堂」の解説

不動堂
ふどうどう

[現在地名]高野町高野山

大塔の南東に位置し、愛染堂の前方にあたる。東面する建物は桁行四三尺・梁間三五尺、正面に向拝両側に庇を出して局が設けてあり、その向拝とともになだらかな勾配檜皮葺の屋根が美しい。国宝。もと一心院いつしんいん谷にあったが、明治四一年(一九〇八)現在地に解体移建された。須弥壇には本尊不動明王坐像(国指定重要文化財)、伝運慶作の八大童子立像(国宝、現在霊宝館に保管)が安置され、中央には華形大壇・礼盤・磬架(国指定重要文化財)が置かれ、来迎壁・屋内遊離柱もあって、三昧堂の形式をそなえる。

「帝王編年記」建久八年(一一九七)五月二八日条に「高野山一心院不動堂供養、陰明門院藤麗子、土御門院后、太政大臣頼実公女、御願、行勝上人建立也」とあり、「高野春秋」建久九年条は「行勝上人来自吉野笙窟、結住草庵於一心院谷住山也、(中略)五坊結構而後造伽藍如左」として、不動堂については「願主八条女院、不動明王者上人自作、二童子運慶、八大童子亦同刻也」と記し、創建年次と願主に異同がみられる。

不動堂
ふどうどう

[現在地名]総和町関戸

関戸せきど集落東南に所在。堂は三間四面で、三尺の縁がめぐる。字八幡浦はちまんうらにあった金剛こんごう寺の付属堂であったものを宝暦六年(一七五六)に現在地へ移したものと伝え、同時に石塔類十数基も移された。鎌倉時代の作とみられる石造宝塔は基盤の上に円筒状の石柱が立ち、その上に大きな本瓦葺様の笠石、さらに相輪、宝珠がのっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報