下野毛村(読み)しものげむら

日本歴史地名大系 「下野毛村」の解説

下野毛村
しものげむら

[現在地名]世田谷区野毛一―三丁目・上野毛かみのげ一―二丁目・中町なかまち一丁目・桜新町さくらしんまち一丁目・深沢ふかさわ八丁目、神奈川県川崎市高津たかつ区下野毛

上野毛村の南、南東流する多摩川左岸にある。荏原えばら郡に属する。川を越えて対岸にも村域が広がり、作場渡しが設けられていた。ほかに飛地が北方の用賀ようが村と深沢ふかさわ村に挟まれた地にあった。六郷ろくごう用水が上野毛村から入り、東の等々力とどろき村へと抜ける。また同村との境には谷沢やざわ川が南へ流れ、多摩川に合流していた。田園簿に下野毛村とあり、田一五四石余・畑九七石余、ほかに野米一石余、近江彦根藩領。寛永一〇年(一六三三)より同藩領となるが、慶安(一六四八―五二)から元禄(一六八八―一七〇四)の間に幕府領が設定され(公私世田谷年代記)、以後幕末まで二給(旧高旧領取調帳など)

下野毛村
しものげむら

[現在地名]高津区下野毛、東京都世田谷せたがや野毛のげ一―三丁目・上野毛かみのげ一―二丁目・なか町一丁目

荏原えばら郡に属し、東は等々力とどろき村、北は上野毛村(現東京都世田谷区)に接し、西・南に多摩川が流れる。田園簿に村名がみえる。文久元年(一八六一)一一月の渡舟場一件留記(原文書)によれば、慶安二年(一六四九)多摩川の氾濫により流路が変化し、左右に分割されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報