下迫村(読み)しもはさまむら

日本歴史地名大系 「下迫村」の解説

下迫村
しもはさまむら

[現在地名]日野町はさま

別所べつしよ村の南、北流する日野川支流迫谷はさまたに川沿いの谷間にある。地名は山と山に挟まれた地形に由来するという。村の北部には須恵器窯跡のある下久保しもくぼ遺跡がある。かつては南方の上迫村と一村であったといい、上・下の迫一帯は蒲生郡から甲賀郡儀俄ぎが庄に通じる交通の要衝地でもあった。

弘安六年(一二八三)二月一三日儀俄泰俊が嫡男亀若に永代譲渡した所職名田畠の一部には蒲生上郡に所在した「迫名田参町壱段」が含まれている(「藤原泰俊譲状」蒲生文書)。「迫村僧□押妨事」に関する年未詳一〇月二〇日付の師祐書状(同文書)によれば、元弘二年(一三三二)以来の年貢米が度々の令旨による催促にもかかわらず領主に納入されず、さらに使者をもって改めて督促されるという事態を招いているが(年未詳一一月一四日付「左衛門尉守継奉書」同文書)、南北両朝の抗争下における庄官および在地諸勢力による庄園領主権侵害の一例といえよう。

下迫村
しもざこむら

[現在地名]直入町長湯ながゆ 下迫

社家しやけ村の南、社家川下流域に位置する。正保郷帳に村名がみえ、田高七四石余・畑高四二石余、朽網くたみ郷に属し、水損地であった。旧高旧領取調帳では高一五〇石余。江戸時代の所属組は柚柑子ゆこうじ村と同じ。明治八年(一八七五)湯原ゆのはる村など一七ヵ村と合併し長湯村となる。

下迫村
しもざこむら

[現在地名]荻町柏原かしわばる

正保郷帳では柏原郷に属し、田方なし・畑方八石余。万治元年(一六五八)には田高なし・畑高一九石余・屋敷高なしとある(荻町史)。弘化物成帳では柏原組のうち、村位は下、免三ツ二分、田はなく、畑四一石余(面積・屋敷高など記載なし)、開畑一石余(二町五反余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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