迫村(読み)さこむら

日本歴史地名大系 「迫村」の解説

迫村
さこむら

[現在地名]杵築市鴨川かもがわ

山迫やまさこ村の北にあり、高山たかやま川と溝井みぞい川のつくる三角地に位置する。たけ城跡に近く、応永元年(一三九四)台山だいさん城が築造され、城主以下が移転するまで、武士が居住したと伝える。小倉藩慶長人畜改帳では木付上きつきかみ庄に属し、さこ村とみえ、家数七・人数二二(うち本百姓三・奉公人三)、牛六とある。小倉藩元和人畜改帳では高一〇五石余、家数八・人数三六(うち本百姓六・下人三・名子五)、牛七・馬二。正保郷帳では八坂やさか庄の上庄かみしよう村のうちに含まれる。元禄郷帳では高八二石余。

迫村
はざまむら

[現在地名]藤岡町迫

飯野いいの石飛いしとび一色いしきの各村とともに現町域の中央に位置する。飯野川の支流迫川が集落の南を流れる。縄文時代のヤゲA・B遺跡があり、弥生時代の下切しもぎり遺跡から後期欠山式かと推定される壺が出土。字柳沢やなぎさわの尾根の中腹に北面四層、東面二層の帯状の段があり、トリデとよばれている。山頂の削平地は南北三〇メートル・幅一〇メートルの楕円形で、東面には二段の削平地と空堀が残り、御作みつくり城跡に次ぐ規模の砦跡と推定される。字半済寺はんさいじには三基の五輪塔がある。

寛永一二年(一六三五)時には幕府領、元禄一四年(一七〇一)挙母藩領となり明治まで続く。寛延二年(一七四九)内藤氏入部時の村絵図(内藤家文書)をみると、飯野村から深見ふかみ村に続く道の西側に家屋が多く、郷蔵・薬師堂・天王社と三つの溜池がある。

迫村
せいむら

[現在地名]西吉野村大字勢井せい

むね川の水源地域、日裏ひうら村の東に立地。いま「勢井せい」と佳字表記する。江戸時代初期は日裏村のうち。元禄三年(一六九〇)の新検高之帳(天理図書館蔵)に「日裏村之内迫村」とあり、この頃までに日裏村から分れたのであろう。元禄郷帳では村高一〇五・八八七石となっている。同帳に「日裏村之枝郷」と注する。

慶応四年(一八六八)の奉差上歎願書(勢井の保中文書)に村の状況を次のように記している。「当村之義ハ極山方霧霜深ク諸作共実のり悪鋪土地柄ニ付、往古者無高無役之処、羽柴秀吉公御治世之節、始メ而御検地御竿入ニ相成、御検地役八嶋久兵衛殿ニ而、高三十七石八斗余ニ被立置、其後徳川家より再御竿入ニ相成、小物成場端々角々迄御竿入ニ相成、右三十七石余之処百五石八斗八升七合ニ増高ニ相成」、ために村は困窮に陥り、家出・欠落・潰百姓多く、当時一一三軒あった家数も今では一七軒となり、手不足のため田畑はますます荒れ、慶応三年に至り「礑と差詰り、御年貢上納無致方延納ニ付而ハ村役人一同手鎖宿預ケ被申付、数日郷宿ニ詰居飯代銀相嵩ミ、難渋弥増無凌方も村中一同途方ニ暮、此時亡所之外無之と存候(後略)」とある。

迫村
さこむら

[現在地名]大分市迫

大野川の右岸に位置し、西は同川を隔てて国宗くにむね村・堂園どうぞの村。江戸時代を通じて肥後熊本藩領。高田手永近在四ヵ村のうち。「肥後国誌」は「仮屋筋村・本迫村・徳平村・井樋口村」などの小村ありと記す。寛永一一年(一六三四)の熊本藩豊後国郷帳に村名がみえ高二三九石余。正保郷帳も同高で、うち田高六一石余・畑高一七七石余、高田たかた庄と付記。大野川に接していることもあり、「強雨の時ニは谷々より流出、谷川のごとく激流にて屋敷内にも溢るる」(高田風土記)という状況で、正保郷帳には水損所と記される。また同川は灌漑用水としては利用できず、水田は大小一五〇余の汲池に頼っていた(高田風土記)

迫村
さこむら

[現在地名]野津町宮原みやばる

寺小路てらこうじ村の東、野津川支流王子おうじ川北方丘陵上にある。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には迫村分が中山なかやま村など四ヵ村と一括された一冊が含まれ,村位は上。同一一年の惣御高頭御帳に村名がみえ、高一八二石余。香野村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば田方一二六石余・畑方五五石余。

迫村
さこむら

[現在地名]益城町寺迫てらさこ

西は木山町きやままち村、東は寺中じちゆう村に接する。慶長国絵図に村名がみえ、近世は沼山津手永に属した。正保郷帳では田四一九石七斗余・畑二三三石五斗余。文化八年(一八一一)の沼山津手永略手鑑では高九五七石七斗余、田二八町一反六畝余・畑三六町一反七畝余で、揚酒本手・商札・水車各一がある。

迫村
つじさこむら

[現在地名]竹田市植木うえき

挟田はさだ川上流東岸に位置する。正保郷帳ではさこ村とあり、長田ながた郷に属し、田方四一石余・畑方三七石余で、柴山有と注記される。元禄・天保両郷帳も同表記。植木組のうち。旧高旧領取調帳では高一三九石余。明治八年(一八七五)政所まどころ村など一三村と合併して植木村となる。

迫村
さこむら

[現在地名]砥用町畝野うねの

村の東および北は水上みずかみ村、西は内園うちぞの村、南は緑川を挟んで藤木ふじき村と接する小村。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳によると高一〇二石八斗余、うち田方一〇石六斗余・畠方九二石一斗余。

迫村
さこむら

[現在地名]川上村大字迫

吉野川左岸、寺尾てらお村・塩谷しおだに村の上流にある。丹生川上にうかわかみ神社上社鎮座地。慶長郷帳では「廻村」、元和郷帳では「せひ村」、寛永郷帳では「佐古村」と書かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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