儀俄庄(読み)ぎかのしよう

日本歴史地名大系 「儀俄庄」の解説

儀俄庄
ぎかのしよう

嶬峨を中心とする一帯に比定される藤氏長者渡領。領家は勧学院。保安元年(一一二〇)五月二七日の近江国司庁宣案(蒲生文書)に庄名がみえ、国衙領との境相論があった。領家職は勧学院別当職の得分で、その任免権は藤氏長者が掌握し、建永元年(一二〇六)に藤原光親が勧学院別当職を辞した際には前関白近衛基通が藤氏長者として所職を召上げている(「三長記」同年八月八日条)。庄園の規模について、嘉元三年(一三〇五)頃の成立とされる摂渡庄目録(九条家文書)には田三〇町七反一三〇歩・畠八町六反一二〇歩とある。同目録には儀俄庄について、春日社寄進地と添書があり、また南北朝期には当庄から毎年三〇貫文(うち四分の一は平少納言家分)が奈良春日社上分として納入されていた(応安元年八月二五日「検校所某契状」蒲生文書)。別に暦応五年(一三四二)の摂渡庄目録(九条家文書)には、南都西南院知行との添書があるので、公事徴収権などは勧学院に保留されたまま春日社に領家職の一部が割かれ、その上分は実際には奈良興福寺西南院に管掌されていたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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